【最新】ゴールデンボンバー鬼龍院翔さんの学歴まとめ!? 高校や大学は? その他気になる経歴等徹底解説

本ページはプロモーション(Amazonアソシエイト含む)が含まれています。リンク等はご自由にお使いください。引用元として記載して頂ければ幸いです
目次

鬼龍院翔さんって誰?

                        引用元:Instagramより

項目詳細
本名鬼龍院 翔
芸名鬼龍院 翔、キリショー
生年月日1984年6月20日
年齢40歳(2024年現在)
出身地東京都台東区浅草
身長164 cm
血液型B型
家族構成両親、兄弟が数名いる
学歴東京都立向丘高等学校卒業、東京NSC(吉本総合芸能学院)9期生
デビュー年2004年(ゴールデンボンバー結成)
所属グループゴールデンボンバー
役割ボーカル、作詞・作曲、編曲担当
趣味ゲーム、バイオリン、映画鑑賞
好きな食べ物チョコレート
代表曲「女々しくて」「Dance My Generation」など
結婚2021年9月に一般女性と結婚
子供2024年8月に第一子が誕生

ヴィジュアル系エアーバンド・ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんは、楽曲の作詞、作曲、編曲を手がけ、多彩な才能を発揮しています。

ギターやベース、ドラムだけでなく、ピアノやヴァイオリンなど多くの楽器を演奏することができるのも魅力のひとつです。

ライブの演出やステージの構成、演劇の脚本にも関わり、エンターテイメント性あふれるステージを創り上げています。

バンド内では、キャラクター「鉄腕アトヌ」や「翔也」としても登場し、ファンに愛されています。

ラジオパーソナリティとしても活躍し、2011年から2015年まで『ゴールデンボンバー鬼龍院翔のオールナイトニッポン』で多くのリスナーを楽しませました。

この番組をまとめた書籍が2014年に出版され、さらに彼の自伝本『ゴールデンボンバーのボーカルだけどなんか質問ある?』も2012年に発売されています。

この本では、東京NSCに通っていた経験など、彼の意外な一面が明かされています。

広報活動においてはブログとTwitterを活用していましたが、2014年にはTwitterを退会し、ブログを中心に情報発信を続けることを決意しました。

そして2020年の元旦には、再びTwitterアカウントを開設し、新たなスタートを切りました。

鬼龍院翔さんが音楽に興味を持ったのは、小学6年生での初恋がきっかけでした。

その時、アコースティックギターを購入し、音楽への道が始まります。

幼少期から目立つことが好きでお笑いにも関心がありましたが、中学時代には『ボキャブラ天国』のお笑いブームに対抗心を抱き、音楽活動に力を入れるようになりました。

中学1年生でエレキギターを手にし、中学2年生でテレビ番組を通じて観たMALICE MIZERの『月下の夜想曲』に心を奪われ、ヴィジュアル系音楽の世界に没頭していきます。

その後もGACKTさんやDIR EN GREY、クラシック音楽に影響を受け、音楽の幅を広げていきました。

鬼龍院さんはバンド活動ができる高校を求めて東京都立向丘高等学校に進学しました。

高校時代には軽音楽部でバンドを組み、好きな食べ物から「チョコ」とあだ名が付けられるほど親しまれていました。

このあだ名は、同級生で同じクラスだった歌手の木村カエラさんも知っているエピソードです。

当初はMALICE MIZERのコピーバンドを目指しましたが、シンセサイザーが必要だったため断念し、JUDY AND MARYのコピーに挑戦することになります。

しかし、緊張からギター演奏で思うように力を発揮できず、ドラムやサイレントバイオリンに転向するも難易度の高さに苦戦しました。

バンドメンバーとの相性も合わず悩んでいた頃、音楽の授業で教員からMIDIを使った楽曲制作を学び、ボーカルとしてMALICE MIZERの楽曲を発表することで新たな表現の道を切り開きました。

高校を卒業した後、鬼龍院翔さんは東京NSCに入学し、ハリセンボンさんやライスさんと同じ9期生として活動していました。

当時は池田一真さん(後のしずるさん)と「チョコサラミ」というコンビを組んでお笑いの世界で頑張っていましたが、やがて二人の間に溝が生じ、池田さんから解散の話を持ちかけられ、コンビは解消されます。

その後、NSCを卒業してからはお笑いでの成功に限界を感じ、別の相方と組んでいた「やっと笑えたね」も解散。

芸人の道を離れて音楽活動へと方向転換することを決意しました。

フリーターとしてプロを目指しながら音楽学校に通い、小川悦司さんからアレンジの方法などを学び、音楽のスキルを磨いていきました。

2012年8月には上咽頭炎を患い、その影響で歌い方に癖がついてしまい、完治後も以前のように歌えないという困難に直面します。

同年11月には発声時頸部ジストニアと診断され、ソロ公演の延期を余儀なくされましたが、1年後には無事に振替公演を成功させています。

さらに、2016年5月には声帯ポリープの除去手術を受けるなど、音楽活動においても幾度となく試練を乗り越えてきました。

私生活では、2021年9月に一般女性との結婚を発表し、幸せな家庭を築いています。

2022年には自身の声を元にした音声合成システム「VoiSona」のライブラリを発表し、「機流音」という製品名でリリースされました。

そして2024年8月には第一子の誕生を公表し、新たな家族が加わったことを喜ばしく報告しています。

鬼龍院翔さんは作詞のスタイルについてユニークなエピソードを持っています。

2014年のインタビューでは、マクドナルドの店内で作詞をしており、無料で提供されているナプキンに歌詞を書き留めていたことを明かしています。

しかし、2019年のインタビューでは、その方法が目立ちすぎると感じるようになり、現在では携帯電話にメモするスタイルに変わったと語っています。

また、作詞のインスピレーション源については、2017年に出演したテレビ東京のバラエティ番組『チマタの噺』で興味深い話を披露しました。

酒を飲みに行った際に聞いた他人の愚痴を参考にすることがあるそうで、普段の生活の中からも歌詞のヒントを得ているとのことです。

一方で、恋愛中は楽曲制作が進まなくなるという面白いエピソードも明かしています。

作曲の際にはスマートフォンのボイスメモを活用し、思いついたメロディを録音。

その後、帰宅してからギターを手に取り、紙とペンでメモを取りながらアイデアを形にし、最終的にはパソコンに打ち込んで曲を完成させるというプロセスを踏んでいます。

日常生活の中から生まれる感情や経験が、彼の音楽の創作に大きく影響していることがうかがえます。

鬼龍院翔さんはB型で、身長は164 cm。出身は浅草で、ファンからは「キリショー」や「キリちゃん」といった愛称で親しまれています。

芸名の「翔」は本名から取ったもので、彼のアイデンティティの一部となっています。

ヴィジュアル系アーティストの中でも、GACKTさんに対しては深い尊敬の念を持ち続けており、著名になった今でもその思いを隠さずに語っています。

また、クラシック音楽に親しんでおり、特にヨハン・ゼバスティアン・バッハの影響を受けたことを明かしていますが、その要素は自身の楽曲にはあまり反映されていないと述べています。

作詞に関しては、稲葉浩志さんや中島みゆきさん、GLAYといったアーティストから多くの影響を受けていることをインタビューで語っています。

さらに、鬼龍院さんのファッションセンスも注目されています。

彼が愛用しているタミヤのTシャツは、長年の定番アイテムとなっており、その影響でタミヤTシャツの売り上げが伸びたことから、タミヤ本社からお礼として希望していた『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』の限定ミニ四駆がプレゼントされるというエピソードもあります。

ちなみに、タミヤ自体やプラモデル、ミニ四駆に対する特別な興味はなく、単純にデザインが気に入ってTシャツを愛用していたとのこと。

2013年には「Tシャツが似合うアーティストランキング」で9位に選ばれ、そのファッションセンスが多くの人に支持されています。

鬼龍院翔さんは、年末年始の恒例行事として日雇いのアルバイトを続けてきました。

2011年末にはコンサートスタッフ、2013年にはローソンの店員、2014年にはフジテレビ系のお笑い番組の観覧者、2015年には秋葉原の女装カフェの店員、そして2016年にはデザート工場でアルバイトを経験しています。

この理由について、鬼龍院さんは「現実的な生活感を忘れないため」と語っており、自身の原点を見つめ直すための一環として行っていることがうかがえます。

ただし、2017年にはバイトの応募がすべて不採用となり、アルバイトは実施されませんでした。

音楽に対する考え方もユニークで、「音楽宗教論」というテーマについてしばしば意見を述べています。

2011年のインタビューでは、生演奏にこだわる必要はないと考えており、固定観念を壊した先に音楽の新たな可能性があると主張していました。

生演奏に対する執着を持つ人々に対して、その固定観念を打破することを目指していると語っています。

また、2018年のインタビューでは、個々の好む音楽のスタイルに対する過剰な排他性が宗教的な盲信に似た形で存在することに対し、音楽観を再考する必要性を訴えました。

自身がジストニアを患ったことをきっかけに、音楽活動の継続そのものが最も大切なことだと考えるようになり、それまでメンバーや事務所に対して抱いていた過度な期待を手放すことができたと述べています。

ゴールデンボンバーのメンバーである歌広場淳さんは、鬼龍院さんのやり方が楽器からではなく心での繋がりを生み出し、音楽だけでは救えないファンを助ける手助けになっていると評価しています。

また、彼の方法がヴィジュアル系の音楽を知らない人々にも広める役割を果たしているとも語っています。

2021年9月に結婚を発表した鬼龍院翔さんは、同時期に『週刊文春』によって報じられた親しい女性との関係について、自身のブログで謝罪の意を表明しました。

鬼龍院さんは、この女性について10年来の友人であり、同年3月に結婚を報告した後は会っていないと説明しています。プライベートな事情でファンや関係者に迷惑をかけたことを深く詫びていました。

また、11月19日のニコニコ生放送「月刊ゴールデンボンバー」では、この件について詳細な説明はできないとしつつ、罰ゲームのパフォーマンスを通じて謝罪の意を示しました。

9月24日にもニコニコ生放送「鬼龍院翔の泥船放送室」にて、説明できない事情があることを明かし、自身の発信の意図とファンの受け取り方にズレがあったことを認めています。

そのため、応援してくれるファンを傷つけてしまったことを謝罪し、今後は音楽やパフォーマンスを通じて感謝の気持ちを返していきたいと述べました。

ジャーナリストの片岡亮さんは『現代ビジネス』で、鬼龍院さんがビジネスのために「人間不信で異性に好かれないキャラクター」を作り上げ、そのキャラクターを通じて自作の楽曲の歌詞で共感を得てきたと指摘しています。

今後の活動については、路線変更が必要になる可能性があるものの、完成度の高い楽曲を歌い続ければ、ミュージシャンとして多くの人を惹きつけることができるだろうと述べています。

鬼龍院翔さんの学歴まとめ

引用元:Instagramより

鬼龍院翔さんの学歴

小学校・中学校時代

鬼龍院翔さんは1984年に東京都浅草で生まれ、小学校と中学校も地元の学校に通いました。

彼の音楽への関心は、小学6年生の時に初恋がきっかけで始まります。

アコースティックギターを購入し、独学で演奏を学びました。

中学生になると、お笑いの人気テレビ番組『ボキャブラ天国』の影響を受け、周囲のお笑いブームに対抗する形で音楽にのめり込み、エレキギターを手にするようになりました。

この頃、ヴィジュアル系バンドMALICE MIZERの影響でビジュアル系音楽に魅了され、音楽の道を意識し始めました。

高校時代:東京都立向丘高等学校

音楽活動が可能な高校を探して、鬼龍院さんは東京都立向丘高等学校に進学します(偏差値55)。

高校時代には軽音楽部に所属し、バンドを組んでいました。

当時、彼のあだ名は「チョコ」で、これはチョコが好きなことに由来しています。

同級生には木村カエラさんがおり、授業中にからかわれたこともあるそうです。

バンドではJUDY AND MARYの曲をコピーしていましたが、演奏中の緊張でうまく力が発揮できず、ギター以外の楽器にも挑戦しましたが、いずれも挫折してしまいます。

高校卒業後:お笑いの道へ

高校を卒業した後は、すぐに音楽の道に進むのではなく、東京NSC(吉本総合芸能学院)の9期生として入学し、お笑い芸人を目指しました。

同期にはハリセンボンやオリエンタルラジオが在籍しており、彼も「チョコサラミ」というコンビで活動しましたが、思うように結果を出せず解散。

その後は「やっと笑えたね」というコンビを組むものの、再度の解散を経験し、お笑いの世界から退くことになります。

音楽学校での学び

お笑いの世界に見切りをつけた鬼龍院さんは、音楽の道に本格的に進む決心をしました。

そのため、音楽学校に通い、アレンジや作曲の技術を磨きました。

この時期、周囲の高いレベルに触れ、自分の音楽スタイルを確立するために努力を重ねていたといいます。

ゴールデンボンバーの結成とブレイク

2004年、20歳のときに友人の喜矢武豊さんとともに「ゴールデンボンバー」を結成。

最初は現在の「エアーバンド」スタイルではなく、メンバー全員が楽器を演奏していましたが、パフォーマンス主体のスタイルに転換しました。

2009年には「女々しくて」が大ヒットし、全国的に知名度が急上昇しました。

鬼龍院翔さんの学歴まとめ

学歴学校名エピソード
小学校・中学校東京都内の学校初恋がきっかけで音楽を始める。
高校東京都立向丘高等学校軽音楽部でバンド活動、あだ名は「チョコ」。
専門学校(東京NSC)吉本総合芸能学院(9期生)お笑い芸人を目指すも挫折。
音楽学校詳細は不明音楽のスキルを学び、アレンジ技術を習得。

面白エピソード

  • あだ名「チョコ」:高校時代、好きな食べ物が由来で「チョコ」というあだ名がついており、木村カエラさんにからかわれていた。
  • 一人勤務のアルバイト:レンタルビデオ店でのアルバイト中、暇を見つけてバイオリンを練習していた。
  • お笑いから音楽への転向:NSC時代にお笑いでの成功に限界を感じ、音楽への情熱を再燃させた。

鬼龍院翔さんの学歴は、音楽への情熱が途切れることなく、挫折を乗り越えて成功に至るまでの道のりを物語っています。

今ではゴールデンボンバーの中心として活躍し続け、その経験が今のパフォーマンスや音楽スタイルに大きな影響を与えています。

まとめ

今回は鬼龍院翔さんについて色々調べてみました。

知りたい情報はありましたでしょうか?

もし間違っていたり、もし欲しい情報がなければ改めて調べますので問い合わせよりご連絡下さい。

最後までお読みいただきありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次