紅ゆずるさんって誰?
引用元:Instagramより
項目 | 詳細 |
---|---|
本名 | 松本紗由美(まつもと さゆみ) |
生年月日 | 1982年8月17日 |
年齢 | 41歳(2024年現在) |
出身地 | 大阪府大阪市(韓国ではない) |
血液型 | A型 |
所属事務所 | 松竹エンタテインメント |
宝塚時代の主な役歴 | 星組トップスター、初舞台は『プラハの春』『LUCKY STAR!』など |
愛称 | さゆみ、さゆちゃん、ゆずるん、べに子 |
家族構成 | 両親と2人の弟、長女として育つ |
韓国国籍の噂 | 出身地や本名から考えにくく、外見の雰囲気から生じた噂とされる |
結婚状況 | 未婚で旦那もいない |
実家 | 酒屋との噂があるが、詳細は不明。以前出演した番組で実家が酒屋と語ったことがある |
その他のエピソード | 幼少期は「ピーターパン」に夢中で、1年間自分をピーターパンだと思っていた |
紅ゆずるさんは、2000年に宝塚音楽学校に入学されました。
2002年には、宝塚歌劇団に88期生として入団し、星組公演「プラハの春/LUCKY STAR!」で初舞台を踏まれました。
当時の入団成績は47番でした。その後、星組に配属されましたが、しばらくは大きな役がつかず、苦労の時期が続きました。
転機が訪れたのは2008年、「THE SCARLET PIMPERNEL」での新人公演初主演です。
これは、新人公演最終学年となる入団7年目のラストチャンスでの抜擢で、紅さんにとっても大変意義深い経験だったことでしょう。
2011年には「メイちゃんの執事」(バウホール・日本青年館公演)でバウホール・東上公演初主演を果たし、翌年の「ジャン・ルイ・ファージョン」でも再び主演を務められました。
さらに、2014年には「風と共に去りぬ」で星組の2番手として全国ツアー公演の初主演も果たし、確実にスターとしての地位を築いていかれました。
その後も、2015年の「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(赤坂ACTシアター・ドラマシティ公演)で3度目の東上公演主演を務め、2016年11月21日には、ついに星組トップスターに就任されました。
相手役には綺咲愛里さんを迎え、翌年の「THE SCARLET PIMPERNEL」でトップコンビとして大劇場でのお披露目を果たしました。
この公演は、紅さんにとって特別な思い出である新人公演主演作の再演でもあり、大きな反響を呼びました。
紅ゆずるさんは、2018年に行われた第3回台湾公演「Thunderbolt Fantasy/Killer Rouge」で主演を務められました。
5年ぶり2度目の台湾公演であり、主演としての凱旋は現地のファンにとっても大きな喜びとなったことでしょう。
この公演は、紅さんの海外での人気を改めて証明するものとなりました。
そして、2019年10月13日に「GOD OF STARS/エクレール ブリアン」東京公演の千秋楽を迎え、相手役の綺咲愛里さんと共に宝塚歌劇団を退団されました。
この退団公演は、多くのファンにとって忘れられない感動的なものだったに違いありません。
退団後は、松竹エンタテインメントに所属し、芸能活動を再開されました。
紅さんは、トップスター出身のタレントとして同社で第一号となり、新たなステージでの活躍を始められました。
彼女のこれからの活動にも、多くの期待が寄せられています。
紅ゆずるさんは、出生時に身長51cm、体重3520gで、病院内で一番大きな赤ちゃんだったそうです。
目の両端には赤い痣があり、そのため看護婦さんから「絶対に花魁の生まれ変わりだ」と言われたという、印象的なエピソードもあります。
幼少期はとてもやんちゃな子どもで、毎日のように何かしらイタズラをしていたそうです。
小学3〜4年生の頃、ミュージカル「ピーターパン」を観て夢中になり、緑色の服を買ってもらってからは、自分がピーターパンだと思い込んで生活していた時期もありました。
背が高かったことから、近所の人から「宝塚に入れば?」と言われることもありましたが、当時は特に興味がなかったそうです。
転機が訪れたのは小学5年生の時、テレビで雪組公演「雪之丞変化/サジタリウス」を観たことでした。
これをきっかけに宝塚に魅了され、タカラジェンヌになることを決意されたそうです。
初めての宝塚観劇は、雪組公演「仮面のロマネスク/ゴールデン・デイズ」でした。
その後は、宝塚歌劇のビデオを録画して自己練習とイメージトレーニングを繰り返し、その熱意に両親も応え、受験前の半年間だけバレエと声楽を習わせてもらえたとのことです。
2次試験の面接では、特技として俳句を披露されました。これらのエピソードからも、紅さんの持つ情熱と努力が伝わってきますね。
紅ゆずるさんの学歴まとめ
引用元:Instagramより
1. 小学校時代
紅ゆずるさんの出身小学校は、大阪府大阪市にある公立校「阪南小学校」とされています。
子供の頃から非常に活発でやんちゃな性格で、スポーツも好きでした。
当時は剣道や柔道に取り組んでいましたが、あまり長続きせず、すぐに飽きてしまったとのことです。
そのため、道具を弟に譲ったエピソードもあります。
また、土曜日には学校から帰宅して吉本新喜劇を見ながらお好み焼きを食べるのが定番だったそうで、特にチャーリー浜さんの大ファンでした。
小学校5年生の時にテレビで見た宝塚歌劇団の雪組公演『雪之丞変化』に強い衝撃を受け、そこから宝塚への憧れが芽生えました。
ビデオに録画した公演を繰り返し見て、独自に練習を重ねるほどの熱心さを見せていたそうです。
2. 中学校時代
中学時代の紅さんは、外見がボーイッシュだったことから、男性に間違えられることがありました。
ある日、大阪の戎橋で「ボク~何歳?」とナンパされたエピソードもあり、「ボクちゃうわ、女や」と言い返して相手を驚かせたそうです。
この時期、彼女は宝塚歌劇団の入団を強く意識し始めており、初めて宝塚の舞台を生で観たのも中学3年生の時でした。
3. 高校時代
紅ゆずるさんの出身高校は、大阪府堺市南区にある私立の「東大谷高等学校」です。当時は女子校でしたが、2013年に男女共学となりました。
この学校は1909年に開校した歴史ある仏教系の学校で、紅さんは在学中、クラシックバレエと声楽を習い、宝塚音楽学校の受験に備えていました。
高校1年の終わり頃から本格的にバレエと声楽のレッスンを始め、半年後に難関の宝塚音楽学校に一発で合格しています。
高校時代は、宝塚への思いが強かったものの、両親の反対もありバレエを学ぶことができなかったため、最終的に受験の1か月前に短期間だけレッスンを受ける形になりました。
それでも、彼女の情熱と努力は実を結び、宝塚音楽学校に合格することができました。
4. 宝塚音楽学校時代
2000年に宝塚音楽学校に入学した紅ゆずるさんは、在学中も常に明るく前向きな性格で、周囲の生徒からも愛されていました。
厳しいレッスンや規律に戸惑うこともありましたが、持ち前の負けず嫌いな性格で乗り越え、2002年に88期生として宝塚歌劇団に入団します。
5. 宝塚歌劇団時代
紅ゆずるさんは、宝塚歌劇団入団時の成績は47番(48名中)でした。
入団後、しばらくは大役に恵まれず、舞台袖で歌う影コーラスなどの経験も積みました。
しかし、新人公演最終年である2008年に『THE SCARLET PIMPERNEL』で初主演に抜擢され、その実力を証明しました。
2016年11月には、星組トップスターに就任し、初のお披露目公演も『THE SCARLET PIMPERNEL』でした。
この公演は、彼女にとって特別な思い入れがある作品で、ファンにとっても感動的なものとなりました。
2019年10月13日に宝塚歌劇団を退団し、その後は松竹エンタテインメントに所属して、舞台やテレビドラマ、バラエティ番組などで多岐にわたる活動を続けています。
6. まとめ
紅ゆずるさんの学歴を以下にまとめました。
学歴 | 詳細 |
---|---|
小学校 | 大阪市立阪南小学校 |
中学校 | 名前非公開(大阪市内の中学校) |
高校 | 東大谷高等学校(大阪府堺市) |
宝塚音楽学校 | 2000年入学、2002年卒業 |
宝塚歌劇団 | 2002年入団、2019年退団(星組トップスター) |
まとめ
今回は紅ゆずるさんについて色々調べてみました。
知りたい情報はありましたでしょうか?
もし間違っていたり、もし欲しい情報がなければ改めて調べますので問い合わせよりご連絡下さい。
最後までお読みいただきありがとうございました。