吉田沙保里さんって誰?
引用元:Instagramより
項目 | 情報 |
---|---|
名前 | 吉田 沙保里さん |
生年月日 | 1982年10月5日 |
出身地 | 三重県津市 |
職業 | 元女子レスリング選手、タレント、コーチ |
主な実績 | オリンピック金メダル3回(2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン) |
世界選手権16連覇、アジア大会金メダル4回 | |
引退 | 2019年1月10日 |
コーチング | 日本レスリング協会のコーチとして活動 |
メディア出演 | バラエティ番組やCMなど多数出演 |
趣味・特技 | トレーニング、カラオケ、ドライブ |
吉田沙保里さんは、日本を代表する元レスリング選手であり、現在はレスリング指導者として活躍されています。
彼女は、世界大会で16連覇を達成し、個人戦では驚異的な206連勝を記録しました。
その圧倒的な強さから「霊長類最強女子」と称され、2012年には13大会連続で世界一となり、ギネス世界記録に認定されるとともに、国民栄誉賞を受賞しました。
また、紫綬褒章も2004年、2008年、2012年の3度にわたって受章しています。
学位としては中京女子大学(現在の至学館大学)で健康スポーツ科学学士号を取得し、さらに同大学大学院で健康スポーツ科学名誉修士号を取得されています。
かつては至学館大学の副学長も務められていました。
吉田さんは、2016年のリオデジャネイロオリンピックで日本選手団の主将を務め、その後も現役を続けながらレスリング女子日本代表のコーチとして後進の指導に力を注いでいます。
父親の吉田栄勝さんもレスリングの選手兼指導者であり、スポーツ一家で育ったことが吉田さんの強さの秘密かもしれません。
血液型はO型で、常に明るく前向きな姿勢が印象的です。
吉田沙保里さんは、自宅でレスリング道場を開いていた父、吉田栄勝さんの指導のもと、わずか3歳でレスリングを始めました。
その後、才能を開花させ、1998年と1999年の世界カデット選手権で優勝を果たし、2000年と2001年には世界ジュニア選手権で2連覇を達成しました。
2002年には、ジャパンクイーンズカップで前年の世界王者である山本聖子さんを破り、さらにアジア大会でも優勝を果たします。
その勢いのまま、同年の世界選手権と全日本選手権でも優勝を果たしました。
2003年も、吉田さんは世界選手権とワールドカップで立て続けに優勝し、名実ともに世界トップの女子レスリング選手となりました。
2004年、アテネオリンピックの代表選考試合である全日本選手権とジャパンクイーンズカップでライバルの山本聖子さんに連勝し、女子レスリング55kg級の日本代表に選出されました。
そして、アテネオリンピックで見事金メダルを獲得し、日本中を沸かせました。
2007年5月にはアジア選手権で優勝し、9月の世界選手権でも勝利を収め、女子として史上初の世界選手権5連覇を達成しました。
この年、吉田さんは「テレビ朝日ビッグスポーツ賞」を受賞し、さらにJOCシンボルアスリートにも選出されました。
12月には第57回「日本スポーツ賞」のグランプリを受賞し、翌年の北京オリンピックでは日本代表に正式に決定します。
2008年8月16日、北京オリンピック55kg級に出場した吉田さんは、予選から決勝まで圧倒的な強さを見せ、決勝戦では中国の許莉選手をフォールで破り、2大会連続となる金メダルを手にしました。
この偉業により、吉田さんの名声はさらに高まり、彼女は日本のみならず世界中から称賛を浴びることとなりました。
北京オリンピックでの金メダル獲得後、吉田沙保里さんは表彰式後のテレビインタビューで、「4年後のロンドンも勝ちたい」と語り、オリンピック3連覇を目指すことを早くも宣言しました。
2011年9月の世界選手権では、アレクサンドル・カレリンの最多連覇記録と並ぶ9連覇を達成し、その実力を証明しました。
2012年6月には、JOCからロンドンオリンピックの開会式の旗手に選出され、吉田さんは「旗手は熱望していた。金メダルをとれないというジンクスを打ち破る」と強い意志を見せました。
8月10日(現地時間8月9日)の女子55kg級競技では、予選から決勝まで順調に勝ち進み、決勝戦ではカナダのトーニャ・バービーク選手を2-0で破り、3大会連続の金メダルを手にしました。
吉田さんはその後のロンドンオリンピックの閉会式でも旗手を務め、その存在感をさらに高めました。
同年9月、世界選手権で吉田さんは男女を通じて史上最多となる10連覇を達成し、オリンピックと合わせて13大会連続での優勝を果たしました。
この驚異的な記録により、吉田さんはギネス世界記録に認定され、国内外で「霊長類最強女子」として知られるようになりました。
中国のSNSやメディアでは「アイアンレディ」や「レスリングの女帝」とも呼ばれ、その圧倒的な強さが広く認識されています。
2012年11月7日には、日本政府からその功績を称えられ、国民栄誉賞を授与されました。
2013年の世界選手権で、吉田沙保里さんは全試合を通じて相手に全くポイントを与えない圧倒的な強さで優勝し、世界大会14連覇を達成しました。
翌年、53kg級に挑んだ2014年の世界選手権でも、決勝でスウェーデンのソフィア・マットソン選手を6-0で破り、15連覇を果たします。
2015年の世界選手権では、再び決勝でマットソン選手と対戦し、激しい戦いを繰り広げました。
序盤でポイントを先取され、タックルも封じられる厳しい展開でしたが、吉田さんは後半に逆転し、最終的に2-1で勝利。
これにより、吉田さんは世界大会16連覇を達成し、個人戦での連勝記録も200に到達しました。
試合後、吉田さんは「負けるかと思った。不安で仕方がなかった」と語り、その厳しさを振り返りました。
対するマットソン選手も「ほとんど差がなかった」と述べ、吉田さんを倒す手応えを感じていたことを明かしました。
2015年12月、全日本選手権で55kg級で優勝した吉田さんは、リオデジャネイロオリンピックの代表に選出されました。
しかし、その後は試合に出場することを頑なに拒否し、練習に専念する姿勢を見せました。
この間、彼女は8ヶ月もの長い実戦なしの期間を経て、オリンピックに挑むことになりました。
また、同年12月末にはALSOKを退社しフリーとなったため、オリンピックを控えながらもテレビ番組やイベントへの出演が増える状況となりました。
亡き父、吉田栄勝さんとの約束であるオリンピック4連覇を目指し、吉田沙保里さんはリオデジャネイロオリンピックに挑みました。
決勝戦では、準決勝で最大のライバルと目されていたソフィア・マットソン選手をフォール勝ちで破ったアメリカのヘレン・マルーリス選手と対戦しました。
第1ピリオドで1ポイントを先取したものの、第2ピリオドで4ポイントを奪われ、逆転負けを喫しました。
この結果、吉田さんの世界大会(五輪+世界選手権)の連覇記録は16連覇、個人戦の連勝記録は206連勝でストップし、15年間守り続けた世界女王の座から陥落しました。
試合後、吉田さんは涙ながらに「たくさんの人に応援してもらったのに銀メダルで終わってしまって申し訳ない」「日本選手の主将として金メダルを取らないといけないところだったのに、ごめんなさい。取り返しのつかないことになってしまった」と謝罪の言葉を述べました。
また、「お父さん、私をここまで育ててくれてありがとうっていうことを伝えたいです」と、亡き父に感謝の言葉を贈りました。
日本選手団主将としては過去5大会連続でメダル獲得を逃していましたが、吉田さんは銀メダルを獲得し、表彰台には立つことができました。
それでも、金メダルを取るというジンクスは破ることができませんでした。
帰国後、吉田さんは現役引退を否定し、2020年東京オリンピック出場を最大目標に現役続行を表明しました。
同年9月には、日本レスリング協会の理事会において、吉田さんのレスリング日本女子代表コーチ就任が承認されました。
2016年11月には母校の至学館大学で副学長に就任し、2018年8月まで務めました。
その後、2019年1月8日に自身のツイッターで現役引退を発表し、新たな道を歩み始めました。
同年4月からは、日本テレビ系の朝の情報番組『ZIP!』の金曜日メインパーソナリティーに就任し、肩書は彼女自身が発案した「霊長類最強パーソナリティー」とされました。
新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、吉田さんは定期的にPCR検査を受け、2021年1月には陽性と判明しましたが、順調に回復し、同月29日には『ZIP!』に復帰しました。
その後、2021年4月には聖火リレーの津市区間の第1走者を務め、自身の名前を冠した「サオリーナ」からスタートしました。
第2走者には吉田さんの母が務め、親子で聖火ランナーとしての役割を果たしました。
吉田沙保里さんの学歴
引用元:Instagramより
吉田沙保里さんは、日本のレスリング界で輝かしい実績を持つ一方、学歴も印象的なものがあります。
彼女の学歴は、スポーツと学業を両立させながら努力を続けてきた彼女の姿勢を物語っています。
ここでは、吉田さんの学歴について詳しく紹介します。
小学校:一志町立一志小学校
吉田沙保里さんは、三重県津市の一志町立一志小学校に通いました。
この時期から、彼女は父が運営する自宅のレスリング道場で練習を始め、レスリングの基礎を築きました。
家族の支えと環境が、彼女のレスリングキャリアの基盤となりました。
中学校:一志町立一志中学校
吉田さんは、一志町立一志中学校(現在の津市立一志中学校)に進学しました。
中学時代には、学校にレスリング部がなかったため、陸上部に所属していました。
短距離走やハードルを行いながら、放課後は自宅で父からレスリングの指導を受けていました。
このように、陸上競技とレスリングの両方に取り組むことで、彼女の身体能力はさらに磨かれていきました。
高校:三重県立久居高校
中学校卒業後、吉田さんは三重県立久居高校のスポーツ科学コースに進学しました。
この高校にはレスリング部があり、彼女はそこで本格的にレスリングに打ち込みました。
部活動後は自宅に戻り、父からの特訓を受ける日々を送っていました。
このような厳しい練習環境の中で、彼女は国内外の大会で優勝を重ね、高校3年生の時には世界ジュニア選手権でも優勝するなど、すでにその実力を発揮していました。
大学:中京女子大学(現:至学館大学)
高校卒業後、吉田さんは愛知県にある中京女子大学(現在の至学館大学)に進学し、健康科学部・健康スポーツ科で学びました。
大学1年生の頃から、国内外の大会で優勝を続け、2004年のアテネオリンピックで金メダルを獲得。
彼女の学業とスポーツの両立は、周囲の尊敬を集めました。
また、2005年には健康スポーツ科学学士を取得し、2008年には同大学院で健康スポーツ科学名誉修士号も取得しています。
大学生時代のエピソード
大学時代の吉田さんは、すでに国内外のレスリング界で注目される存在でした。
彼女は大学で学びながらも、レスリングのトレーニングを続け、数々の大会で優勝を重ねました。
また、大学在学中にアテネオリンピックで金メダルを獲得し、オリンピック選手としての地位を確立しました。
このように、学業と競技生活を両立させながら、トップアスリートとしての道を切り開いていきました。
学歴まとめ
学歴 | 学校名 | 所在地 | 学科・コース | その他の情報 |
---|---|---|---|---|
小学校 | 一志町立一志小学校 | 三重県津市 | – | 父のレスリング道場で練習開始 |
中学校 | 一志町立一志中学校 | 三重県津市 | – | 陸上部に所属、短距離走とハードル |
高校 | 三重県立久居高校 | 三重県津市 | スポーツ科学コース | レスリング部に所属 |
大学 | 中京女子大学(現:至学館大学) | 愛知県大府市 | 健康科学部・健康スポーツ科 | 健康スポーツ科学学士号取得 |
大学院 | 中京女子大学大学院 | 愛知県大府市 | 健康科学研究科 | 健康スポーツ科学名誉修士号取得 |
吉田沙保里さんの学歴は、彼女がいかにしてスポーツと学業を両立し、トップアスリートとしての道を歩んできたかを示しています。
彼女の成功は、努力と家庭の支えによって築かれたものです。
まとめ
今回は吉田沙保里さんについて色々調べてみました。
知りたい情報はありましたでしょうか?
もし間違っていたり、もし欲しい情報がなければ改めて調べますので問い合わせよりご連絡下さい。
最後までお読みいただきありがとうございました。