土性沙羅さんは、日本の女子レスリング界で数々の栄冠を手にしてきたトップアスリートです。
彼女の学歴や大学時代についても、多くのファンやメディアが注目しており、彼女の成功の背景にはどのような学びや経験があったのか、関心が集まっています。
土性沙羅さんはどのような教育を受け、どのようにして日本を代表するアスリートに成長していったのでしょうか?
この記事では、彼女の学生時代の歩みを詳しく紹介します。
特に、彼女が在籍した至学館大学での経験や、そこで培ったレスリング技術、精神力について深掘りしていきます。
土性沙羅さんの学歴に興味がある方は、ぜひ最後までお読みいただき、彼女のバックグラウンドに迫ってみてください。
土性沙羅さんの経歴
引用元:Instagramより
項目 | 詳細 |
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名前 | 土性 沙羅(どしょう さら) |
生年月日 | 1994年10月17日 |
出身地 | 三重県松阪市 |
身長 | 159cm |
競技 | レスリング女子69kg級 |
主要タイトル | リオデジャネイロ五輪金メダリスト |
現在の職業 | 三重県松阪市の市職員 |
結婚 | 2021年9月に大学時代の同級生と結婚を発表 |
引退時期 | 2023年3月 |
土性沙羅さんがレスリングを始めたきっかけには、父親が吉田栄勝さん(吉田沙保里さんのお父様)から指導を受けていた縁があります。
その縁で、栄勝さんが主宰する一志ジュニア教室に通うようになり、そこでレスリングの技術を磨いていきました。
特に、栄勝さんからはタックルの技術を徹底的に教え込まれ、それが後の土性さんの強さの基盤となりました。
小学校4年生の時には全国少年少女選手権で初優勝し、その後も連覇を続けました。
松阪市立鎌田中学校に進学すると、全国中学生選手権でも2連覇を果たし、早くから才能を開花させていきます。
2010年には愛知県の至学館高校に進学し、1年生の時には全国高校女子選手権で優勝を果たしましたが、全日本レスリング選手権大会では惜しくも2位に終わりました。
しかし、2年生になると全日本選抜でリベンジを果たし、優勝を手にしました。
また、世界ジュニアやゴールデングランプリでも素晴らしい結果を残し、将来の活躍が期待される選手として注目されるようになりました。
3年生の時も全日本選抜では2位となりましたが、全国高校選手権での3連覇を達成するなど、安定した実力を発揮しました。
全日本レスリング選手権大会では2連覇を達成し、名実ともにトップ選手としての地位を確立しました。
このように、土性さんは幼少期から才能を発揮し、数々の大会で優秀な成績を収めることで、その名を全国に知られる存在となりました。
2013年、土性沙羅さんは至学館大学に進学し、その後も輝かしい成績を収め続けました。
この年、彼女は全日本選抜で2連覇を達成し、世界選手権代表に選ばれました。さらに、ユニバーシアードと全日本学生選手権でも優勝を果たし、国内外でその実力を証明しました。
世界選手権では準決勝でウクライナのアリナ・スタドニク選手に惜しくも敗れたものの、3位決定戦ではドイツのアリーネ・フォケン選手を破り、見事に銅メダルを獲得しました。
2014年には、土性さんの勢いはさらに増し、ワールドカップとアジア選手権69kg級で優勝しました。
また、全日本選抜でも2連覇を達成し、再び世界選手権代表に選ばれました。世界選手権の準決勝では、ロンドンオリンピック金メダリストであるロシアのナタリア・ボロベワ選手に6-3で勝利するという快挙を達成します。
しかし、決勝では再びアリーネ・フォケン選手と対戦し、ポイントの取り合いの末、終了間際に逆転負けを喫し、惜しくも2位に終わりました。
この試合では、左足中足骨を骨折する疑いもあり、非常に厳しい状況の中での戦いでした。
それでも、全日本レスリング選手権大会では4連覇を達成し、国内での強さを見せつけました。
2015年には全日本選抜で3連覇を達成し、さらなる成長を遂げました。
世界選手権では準々決勝で中国の周風選手に7-11で敗れるも、その後の3位決定戦でモンゴルのナサンブルマー・オチルバト選手に6-5で競り勝ち、3位に輝きました。
この結果により、土性さんは12月に行われる全日本選手権に出場すれば、2016年リオデジャネイロオリンピックの代表に内定することが決まりました。
そして、12月の全日本選手権では準決勝、決勝と無失点で優勝し、見事にオリンピック代表の座を手に入れました。
2016年、土性沙羅さんはリオデジャネイロオリンピックで見事な活躍を見せました。
彼女は初戦でウクライナのスタドニク選手を11-2で圧倒し、2回戦ではトルコのブセ・トスン選手にテクニカルフォール勝ちを収めました。
その後の準々決勝ではカナダのドロシー・イーツ選手を7-2で破り、準決勝ではスウェーデンのジェニ・フランソン選手に同じく7-2で勝利しました。
決勝戦では、ロンドンオリンピックの金メダリストであるロシアのナタリア・ボロベワ選手と対戦しました。
土性さんは2ポイントを先行されましたが、第2ピリオドの終盤でボロベワ選手のバックを取り、2ポイントを取り返して同点に追いつきました。
試合はそのまま終了し、土性さんが1回のアタックで獲得した得点、いわゆるビッグポイントで上回っていたため、規定により勝利が確定。
五輪初出場で金メダルを獲得しました。
その年の11月には、土性さんは紫綬褒章を受章しました。
さらに、全日本レスリング選手権大会では圧倒的な強さを見せ、1ポイントも与えずに優勝し、同大会での6連覇を達成しました。
2017年5月には、リオデジャネイロオリンピック以来の国際大会となるアジア選手権に出場し、見事に3度目の優勝を果たしました。
その後、6月の全日本選抜でも優勝し、好調を維持しました。そして8月の世界選手権では、初戦で地元フランスの選手との接戦を3-3の内容差で制し、決勝まで進出しました。
決勝では、以前から因縁のあるアリーネ・フォケン選手を3-0で破り、初めて世界選手権での優勝を果たしました。
12月には、全日本レスリング選手権大会で新たに設けられた68kg級に出場し、見事に優勝しました。
土性沙羅さんのこの時期の活躍は、彼女の強さと忍耐力を象徴するものであり、レスリング界でのさらなる成功を予感させるものでした。
彼女はオリンピック金メダリストとしての地位を確立し、その後も日本国内外での競技生活を通じて、素晴らしい成果を挙げ続けました。
2018年、土性沙羅さんは3月のワールドカップで優勝し、再びその実力を証明しました。
この時期はケガからの復帰を果たした年でもあり、12月の全日本選手権では大会8連覇を達成するという偉業を成し遂げました。
彼女の強さと復活力が際立った一年でした。
2019年、土性さんは4月のアジア選手権において、決勝で地元中国の周鳳選手を破り、見事に優勝を果たしました。
さらに、6月の全日本選抜選手権では、決勝で自衛隊体育学校の古市雅子選手に対して、終盤に逆転勝利を収め、世界選手権代表に選ばれました。
しかし、9月の世界選手権では、アメリカのタミラ・メンサ選手に1-10で敗れ、その後の3位決定戦でも惜しくも敗れ、5位に終わりました。
これにより、東京オリンピックの出場枠は確保したものの、自身の五輪代表は決定できませんでした。
その後、12月の全日本選手権では、準決勝で日体大2年の森川美和選手に敗北し、五輪代表をかけたプレーオフに挑むこととなりました。
2020年3月に行われたプレーオフでは、森川選手を3-1で破り、東京オリンピック代表の座をつかみました。
しかし、2021年8月の東京オリンピックでは、土性さんは3位決定戦でウクライナのアラ・チェルカソワ選手に敗れ、惜しくもメダル獲得には至りませんでした。
この結果は、多くの期待を背負って臨んだ土性さんにとって厳しいものでしたが、彼女の戦いぶりは多くの人々に感動を与えました。
土性沙羅さんの学歴
引用元:Instagramより
土性沙羅さんの学歴
土性沙羅さんは、日本の女子レスリング界で名を馳せたアスリートとして広く知られていますが、彼女の学歴もまたその成功に大きく貢献しています。
今回は、土性さんの学歴について、小学校から大学までを詳しくご紹介します。
小学校: 松阪市立第四小学校
土性沙羅さんは、三重県松阪市にある松阪市立第四小学校を卒業しました。
彼女のレスリングキャリアのスタートは、なんとこの小学校時代からです。
土性さんがレスリングを始めたきっかけは、父親がかつて吉田沙保里さんの父である吉田栄勝さんから指導を受けていたことにあります。
土性さんは小学2年生の時に吉田栄勝さんの主宰するレスリング教室「一志ジュニア」に入門し、そこでレスリングの基礎を学びました。
小学4年生の時には全国少年少女選手権で初優勝を果たし、その後も3連覇を達成するなど、幼少期からその才能を発揮していました。
中学校: 松阪市立鎌田中学校
中学時代、土性さんは松阪市立鎌田中学校に進学しました。
中学2年生の時には全国中学生選手権52キロ級で優勝し、3年生の時には64キロ級でも優勝を果たしました。
これにより、彼女は中学時代にもレスリング界でその名を広く知られるようになりました。
特に中学3年生の時には初めて海外遠征を経験し、国際大会で優勝したことが、彼女のレスリングに対する自信をさらに高めるきっかけとなりました。
高校: 至学館高等学校
土性さんは高校進学にあたり、愛知県にある至学館高等学校(当時は中京女子大学附属高校)に進学しました。
至学館高校は、女子レスリングの名門校として広く知られ、多くのオリンピックメダリストを輩出しています。
土性さんもまた、この高校でレスリング技術をさらに磨き、全国高校女子選手権では1年生から3連覇を達成しました。
彼女はこの期間中、全日本選抜や世界ジュニアでも優勝を果たし、将来のオリンピック選手として期待を集めました。
大学: 至学館大学
高校卒業後、土性さんは至学館大学の健康科学部健康運動科学科に進学しました。
大学時代も引き続きレスリングに打ち込み、2013年には初めて世界選手権の日本代表に選ばれました。
その後も、2013年から2015年にかけて3大会連続でメダルを獲得し、リオデジャネイロオリンピックでは金メダルを獲得するという快挙を達成しました。
彼女の大学時代は、まさに日本女子レスリング界に新たな歴史を刻んだ時期であり、至学館大学での学びとトレーニングがその成功を支えたことは間違いありません。
学歴まとめのテーブルリスト
学歴 | 詳細 |
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小学校 | 松阪市立第四小学校 |
中学校 | 松阪市立鎌田中学校 |
高校 | 至学館高等学校(旧 中京女子大学附属高校) |
大学 | 至学館大学 健康科学部健康運動科学科 |
土性沙羅さんの学歴は、彼女のレスリングキャリアにおいて重要な基盤となっています。
幼少期から始まったレスリングの道は、彼女が進学した学校とその環境が大きな影響を与え、最終的にオリンピック金メダリストとしての成功へと繋がりました。
土性沙羅さんの大学時代
引用元:Instagramより
土性沙羅さんの大学時代
土性沙羅さんは、愛知県にある至学館大学に進学し、健康科学部健康運動科学科に所属しました。
この大学は、女子レスリング界に多くのオリンピックメダリストを輩出してきた名門であり、土性さんのレスリングキャリアにおいても重要な役割を果たしました。
至学館大学でのトレーニング環境
至学館大学は、女子レスリングの名門校として知られ、そのトレーニング環境は世界クラスの水準を誇ります。
土性さんは、この環境で多くの同世代の選手たちと切磋琢磨しながら、競技力を高めました。
特に、大学には充実したトレーニング施設があり、専門のコーチ陣による指導を受けることができたことが、彼女の実力向上に大きく貢献しました。
また、世界各国のトップレベルの選手と共に練習する機会も多く、これが土性さんの競技力をさらに高める要因となりました。
大学時代の競技成績
土性さんは、大学在学中にも数々のタイトルを獲得しています。
2013年には、世界選手権に初めて日本代表として出場し、見事に銅メダルを獲得しました。
これは、彼女が大学1年生の時の成績であり、その後も世界選手権で連続してメダルを獲得しています。
2014年の世界選手権では銀メダル、2015年の世界選手権では再び銅メダルを獲得し、大学時代の彼女はまさに輝かしい成績を残しました。
大学時代のリオデジャネイロオリンピック
土性さんの大学時代の最も大きな出来事は、2016年のリオデジャネイロオリンピックでの金メダル獲得でしょう。
彼女は、大学在学中に日本代表としてオリンピックに出場し、女子レスリング69キロ級で金メダルを獲得しました。
この金メダルは、重量級では初となる日本の金メダルであり、彼女自身も日本女子レスリング史に新たな歴史を刻むこととなりました。
学業と競技の両立
至学館大学では、学業と競技を両立させるためのサポートが充実しており、土性さんもこのサポートを受けながらレスリングに専念しました。
彼女は、健康運動科学科での学びを通じて、身体のメカニズムやトレーニング理論を深く理解し、それを自身の競技に活かしてきました。
大学で学んだ知識は、彼女のレスリング技術の向上にとどまらず、競技生活全般を支える基盤となりました。
大学卒業後のキャリア
大学卒業後、土性さんは現役選手としての活動を続けながら、地元の三重県松阪市で市職員としての新たなキャリアもスタートさせました。
大学での経験が、彼女の今後のキャリアに大きな影響を与えていることは間違いありません。
至学館大学で培った知識と技術、そしてそこで築いた人脈や経験は、彼女のその後の活躍を支える重要な要素となっています。
まとめ
今回は土性沙羅さんについて色々調べてみました。
知りたい情報はありましたでしょうか?
もし間違っていたり、もし欲しい情報がなければ改めて調べますので問い合わせよりご連絡下さい。
最後までお読みいただきありがとうございました。