【最新】博多華丸・大吉の大吉さんの嫁(奥様)はどんな人?若い頃の写真はある?経歴や娘の話等徹底解説

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博多華丸大吉の大吉さんは、お笑い界の重鎮として知られ、彼のユーモアと温かい人柄は多くのファンに愛されています。

そんな大吉さんの「嫁」や「経歴」、そして「娘」にまつわるエピソードを知ることで、彼の新たな一面を発見することができます。

本記事では、華丸大吉さんの輝かしいキャリアとともに、彼の家庭生活や家族に関する興味深い話をどこよりも詳しくお届けします。

読者の皆さんが抱く彼への関心が一層深まることでしょう。

目次

博多華丸大吉とは?

                         引用元:Instagramより

項目 詳細
コンビ名 博多華丸・大吉
メンバー 博多華丸(本名: 岡崎 光輝)、博多大吉(本名: 吉岡 大輝)
結成 1990年
出身地 福岡県
所属事務所 吉本興業
主な出演番組 「あさイチ」、多数のバラエティ番組
活動ジャンル 漫才、コント
受賞歴 2014年 M-1グランプリ 優勝
代表作 「博多華丸・大吉のアサデス。KBC」、多数のバラエティ番組
経歴 1990年にコンビを結成し、福岡を拠点に活動を開始。2005年に東京進出し、全国区で活躍するようになる。2014年にM-1グランプリで優勝し、さらなる人気を博す。


~デビュー

博多華丸さんと博多大吉さんは、1989年に福岡大学に入学した同期生です。

大学入学後、お笑いに興味を持っていた二人は、お笑いサークルを探していたところ、唯一存在していた落語研究会に所属することになりました。

勧誘情報には「ゆるい上下関係」と記載されていましたが、実際には厳格な縦社会であり、その不満を共有する中で親交を深めました。

地元のタウン情報誌にサークル活動が紹介され、それを見たあるプロダクションから「ヨッチャン・オカチャン」というコンビ名で東京で活動しないかという誘いを受けたことがあります。

最初の面接時、二人はそのプロダクションの雰囲気から怪しいと感じ、逃げる口実を探していましたが、面会を重ねるごとに売り出しのプランが具体化していきました。

どうしても断りたかった二人は、吉本興業が主催する福岡でのお笑いオーディション番組の募集広告を利用し、社長に「吉本を目指したい」と懇願して断りました。

このプロダクションは実は大きな芸能事務所であり、断ったことで吉本所属を目指す姿勢をアピールする状況に追い込まれました。

1990年4月29日に放送された吉本興業福岡事務所創設初のオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』(テレビ西日本)に「岡崎君と吉岡君」の名で出場しました。

決勝では2位までが合格し福岡吉本の1期生となる副賞がありましたが、結果は4位で不合格。

しかし、事務所の立ち上げに人手が足りなかったため、優勝したコンビ「ター坊ケン坊」のメンバー田中さん経由で福岡吉本から声がかかり、二人は大学を中退し、同年5月に1期生となりました。

吉本福岡事務所長の吉田武司さんの方針により、「芸人は本名ではなく芸名で活動する」ということで、「華丸・大吉」のコンビ名でデビューが決まっていました。

しかし、「芸名(平仮名で)7文字が売れる」という理由から「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)という名前になりました。

福岡吉本時代

                         引用元:Instagramより

博多華丸さんと博多大吉さんはデビュー当初、深刻なコンビ格差がありました。

『お笑いめんたい子』で優勝した「ター坊ケン坊」の竹山さんと華丸さんが2トップとして売り出され、福岡吉本1期生総出演の『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(TVQ)にレギュラー出演が決まりましたが、大吉さんはフロアディレクターとして見切れる形での出演でした。

竹山さんが1年で福岡吉本を辞めたことで、大吉さんにもようやく出番が回るようになり、「竹山さんが上京しなかったら、今でも裏方を続けていただろうし売れてもいなかった」と大吉さんは語っています。

その後、華丸さんは福岡吉本の看板芸人として、大吉さんはMCとしてローカル番組に出演し続け、多くのレギュラー番組を獲得し、福岡県内で中高生を中心にトップクラスの人気を確立しました 。

1995年に『めちゃ²モテたいッ!』(フジテレビ)で「福岡の人気芸人」として紹介され、ナインティナインとの共演を果たしました。

この時、ナインティナインは『とことんサンデー』にゲスト出演し、以降2組は親交を深めました。

当時の華丸・大吉は司会やMCが主で、テレビで漫才を披露する機会はほとんどありませんでした 。

1997年、『とことんサンデー』でテレビ西日本が福岡吉本の了承を得ないまま大吉さんを1年間アメリカに留学させ、その模様を番組で追いかける企画が発表されました。

しかし、吉本側の了承がないままの発表だったため、同局と吉本の間でトラブルが発生しました。

このトラブルの背景には、地元局と福岡吉本の2代目所長だった玉利寛さんの仲が悪かったことが挙げられます。

大吉さんはこのトラブルが解決するまで1年間自宅待機を強いられ、実質的な休業状態となり、番組も急遽打ち切られました。

この休業期間中に大吉さんはネタを書き溜め、以降のネタ作りは華丸さん中心から大吉さん中心へと移行しました 。

博多大吉さんの休業が明けた1998年4月から、『とことんサンデー』と同じ時間帯に同じコンセプトの番組『Hi-Ho!』が始まりました。

しかし、当初関西ローカルだった深夜番組『吉本超合金』(テレビ大阪)が福岡でも放送され、1999年には福岡吉本の自前劇場「吉本111劇場」がオープンし、大阪吉本の芸人が福岡のテレビ番組や劇場に出演するようになりました。

これにより、「大阪の笑い」が福岡にも浸透し、特に『吉本超合金』のメイン出演者であるFUJIWARAや2丁拳銃には福岡でも熱狂的なファンがつき、華丸・大吉さんのネタでウケていた観客が一切笑わなくなりました。

大吉さんは、人気者のFUJIWARAが『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)でスベリキャラとして扱われている姿を見て、東京のテレビに畏怖の念を覚えました。

1999年から2003年まで『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)に出演し、13勝4敗でゴールドバトラーに認定されました。

2001年には第1回『M-1グランプリ』に出場しましたが、結果は11位で決勝進出を逃しました。

このとき既に結成11年を超えていたため、出場資格はありませんでしたが、吉本興業からの要請で「華丸マル・大吉」名義で出場しました。

準決勝まで進んだものの、直前に主催者側から出場資格を理由に実質失格扱いとなり、これが最初で最後のM-1出場となりました。

2002年頃から東京進出の機運が高まりましたが、福岡吉本が華丸・大吉さんを手放したくなかったことや、当時の吉本社長林裕章さんの病気などの事情で話は一旦立ち消えとなりました。

2004年4月に屋号を博多に変更し、現在の芸名へ改名しました。

改名のきっかけは、姓名判断に詳しい福岡事務所の女性パート職員が「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前」と指摘し、「博多」に変更することを勧めたためです。

この女性は「屋号を博多に変えて2年以内に2人が東に向かうと運気が上がる」ともアドバイスしました。

改名に際して、元吉本新喜劇座長の木村進さんにも報告し、快く認めてもらいました。

東京進出

2005年4月、博多華丸さんと博多大吉さんは念願の東京本社へ移籍を果たしました。

この東京進出のきっかけには複数の要因がありました。

華丸さんは、先述の女性職員によるアドバイスに「背中を押していただいた」と感じており、また華丸さんの長女が小学校入学を控えていたため、就学中の転居を避けたかったという理由もありました。

同期の竹山さんがカンニングとして全国区でブレイクした際、2人はかつての同期であることや標準語主体のネタで祝福していました。

しかし、福岡吉本で5期後輩のヒロシさんが福岡で仕事がなく止むを得ず上京し、別の事務所に入り直して熊本弁のネタでブレイクを果たし、福岡へ凱旋した際には大きな笑いを獲得している姿を見て、2人は「東京で売れることの重要性」を実感し、東京進出を決意しました。

また、BS放送開局記念番組に出演した島田紳助さんの「東京の時代は終わった。これからは1回宇宙へ飛ばしてそこから配信していく時代だから、東京に限らず地方どこにおっても出てくるやつは出てくる」という発言を耳にした華丸さんは、その言葉を信じて福岡で活動していました。

しかし、デビュー13年目に紳助さんと初めて話す機会が生まれた際、「何で君ら福岡でやってんねん」と言われたことで、さらに東京進出を決意する要因となりました。

当時NHK福岡の番組で共演していた氷川きよしさんも、「福岡にいてはもったいない」という表現で東京進出を勧めていました。

東京移籍後は、ルミネtheよしもとでの舞台が主な活動の場となり、月に数回は福岡での活動を並行して行いました。

テレビ局や制作会社には新人と見なされ、テレビ出演1本あたりのギャラは福岡時代よりも大幅に減少しましたが、舞台での出演数をこなすことや福岡でのレギュラー番組の応援により、それなりの生活を維持していました。

35歳で上京した後、各お笑い番組のオーディションを受けましたが、「どの番組もフレッシュな若手が欲しいらしく、変にこなれた自分たちは求められていない感があった」と感じ、「面白いんだけど、それが伝わりづらい」との理由で落とされたり、10歳以上年下の審査員から「痛々しい」と言われたりすることもありました。

福岡時代に「東京に出てきたら」と言ってくれていた人々の態度も一変し、「本当に来たの?」という反応を受けることもありました。

全国へ

                          引用元:Instagramより

2005年10月、博多華丸さんが『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)の企画コーナー「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」第6回大会に出場しました。

この番組は、上京後初めてオーディションに合格した番組であり、華丸さんにとって本来4〜5番手のものまねレパートリーだった『パネルクイズ アタック25』(テレビ朝日)の児玉清さんのものまねで優勝し、一躍注目を浴びました。

続く第7回大会でも優勝し、優勝賞金100万円を獲得。同コーナーでは唯一の連覇達成者となり、「伝わりづらい面白さ」を活かせる場として、博多華丸・大吉さんの知名度を大きく上げることになりました。

2006年2月、華丸さんは『R-1ぐらんぷり』に出場し、決勝大会に進出しました。

東京での看板ネタとなっていた児玉清さんのモノマネを「あいうえお作文」と組み合わせたネタで優勝を成し遂げました。

決勝直前、華丸さんはネタを変更しようとしましたが、大吉さんや密着取材をしていたディレクターが説得し、最終的に児玉清さんのネタで決勝に臨みました。

これにより、コンビの主導権は大吉さんが握るようになりました。なお、華丸さんは優勝賞金500万円を大吉さんと折半しました。

2006年5月19日には、なかやまきんに君の紹介で『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)の「テレフォンショッキング」に初出演しました。

2008年9月4日の『アメトーーク!』(テレビ朝日)の「中学の時イケてないグループに属していた芸人」に大吉さんが出演し、ネガティブなトークが注目されました。

その後、同番組への出演回数が増え、「大吉先生」としてのキャラクターやトークの巧さが世間に認知されるようになりました。

大吉さん自身は、2012年4月から『たまむすび』(TBSラジオ)の水曜レギュラーに抜擢されたこともブレイクの要因と語っています。

2012年3月8日放送の『アメトーーク!』「小忙しい芸人」では、営業先での「華丸・大吉あるある」トークが盛り上がり、宮迫博之さんの提案で「華丸・大吉芸人」が実現しました。

2012年5月17日・24日に放送され、多くの芸人が華丸・大吉さんに所縁のあるエピソードを語りました。

さらに、2012年の年末には「多くの芸人に愛され、視聴者に暖かい笑いを送り続けた」として、アメトーーク大賞が授与されました。

『THE MANZAI』優勝

2011年、博多華丸・大吉さんは、第1回となる『THE MANZAI』に出場しました。

彼らは当初「若手の大会だから」と出場を控えるつもりでしたが、西川きよしさんや今いくよ・くるよさんからの説得を受け、出場を決意しました。

予選を勝ち抜き、認定漫才師50組に選ばれ、本戦サーキットを13位で通過し、決勝大会に進出しました。

1回戦で「乾杯の挨拶」を披露しましたが、後輩のパンクブーブーに大差で敗れました。

ビートたけしさんから「もっと票が入ってもよかったんじゃないか」と評され、「泣きそうです」と応えました。

2014年、再び『THE MANZAI』に出場しました。

2013年の年末にたけしさんから「なんであんちゃん達出ないの?」と直接問いかけられたことがきっかけで、大木こだまさんなどの先輩の後押しもあり出場を決意しました。

認定漫才師に選ばれ、本戦サーキットを6位で通過し、決勝大会に進出しました。

1回戦ではワイルドカード枠で出場した三拍子を相手に競り勝ち、最終決戦では「宴会の抜け出し方」を披露し、アキナ・トレンディエンジェルを相手に10票中9票を獲得し、優勝しました。

たけしさんは番組エンディングで「俺は(華丸・大吉の)ファンだからなぁ」と述べ、放送後の記者会見では若手芸人と華丸・大吉さんの漫才の違いを讃えました。

大吉さんは「本当に面白い漫才師さんは劇場にいますので、是非皆さん劇場に足を運んでください」と挨拶しました。

『THE MANZAI』の優勝者にはフジテレビ深夜帯の冠番組が贈られましたが、既に数本のレギュラー番組を持っていたため、賞品番組の辞退も考えていました。

しかし、若手芸人に全国区の番組に出る機会を与えたいという思いから、『華丸大吉の2020』のMCを務めました。

2015年以降も『THE MANZAI マスターズ』に毎年招待され、出演しています。

東京スポーツ映画大賞と並行して行われる「ビートたけしのエンターテインメント賞」では、2012年と2015年に「日本芸能大賞」を受賞しました。

2015年は単独受賞でした。

『THE MANZAI』優勝以降

引用元:Instagramより

2015年に博多華丸・大吉さんはデビュー25周年を迎え、2016年1月9日と10日に福岡・キャナルシティ劇場にて「博多華丸・大吉結成25周年ライブ」を開催しました。

このライブには、ナインティナインの岡村隆史さんなどコンビに縁のある多くの芸人がゲストとして登場し、タモリさん、ビートたけしさん、明石家さんまさんからのビデオメッセージも寄せられ、華やかに祝福されました。

このライブが成功したため、翌年以降も「博多華丸・大吉○○周年記念公演」と題したライブを毎年開催しています。

しかし、2020年の29周年記念公演は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため中止されました。

2018年4月2日からは、有働由美子さんと井ノ原快彦さんの後任として『あさイチ』(NHK総合)の2代目キャスターに就任し、新しい「NHKの朝の顔」となりました。

同年10月には、「漫才を中心に様々な分野において活躍し、福岡県のPRに貢献している」との理由で、第26回福岡県文化賞・社会部門を受賞しました。

2020年にデビュー30周年を迎え、結成30周年記念イベントは2021年1月23日に福岡ドームで開催される予定でしたが、コロナ禍のため中止となりました。

大吉さんは「世の中が落ち着いて、いいタイミングが来たら」実施する予定とし、その後「華大どんたく」まで待つこととなりました。

2023年には、福岡で開催される世界水泳選手権の『テレビ朝日 世界水泳福岡2023 応援団』に就任しました。

そして、2024年2月10日に福岡ドームにて結成33周年記念イベント「博多華丸・大吉 presents 華大どんたく supportedバイ 洋服の青山」を開催し、3万4000人以上の観客を動員しました。

このイベントでは、ビデオ出演を含め48組80人の芸人がネタ披露や運動会、大喜利などの企画を行い、9時間半にわたってイベントを盛り上げました。

大吉さんとは?

引用元:Instagramより

項目 詳細
名前 博多大吉
本名 吉岡 大輝(よしおか ひろき)
生年月日 1971年3月10日
年齢 53歳(2024年現在)
出身地 福岡県古賀市
身長 182cm
体重 62kg
血液型 O型
職業 お笑い芸人、司会者
コンビ名 博多華丸・大吉
相方 博多華丸
所属事務所 吉本興業
学歴 福岡大学経済学部中退
デビュー 1990年
趣味 プロレス、ゲーム
受賞歴 R-1ぐらんぷり2006優勝、THE MANZAI 2014優勝、第26回福岡県文化賞社会部門(2019年)


博多大吉さんは、福岡県出身の父と福島県出身の母のもとに神戸市で生まれました。

両親はその理由を「墓にまで持って行く」「絶対に教えない」として、詳細を語っていません。

本名の廣憲(ひろのり)は、祖父の廣と父の憲之から一字ずつ取って命名されました。

2歳の時に福岡県糟屋郡古賀町(現在の古賀市)へ移転しました。

幼少期、大吉さんの父親は定職を持たず、仕事に就いても問題を起こして退職を繰り返していました。

中学生の時、1984年のロサンゼルスオリンピックを開会式から閉会式まで見ていた父親は、その後日雇いの仕事にも行かなくなりました。

また、父親はお酒を飲むと人が変わるタイプだったため、大吉さんは親の顔色を伺う子供に育ちました。

家庭は貧しく、朝夜の食事が白飯とセール品の明太子のみで、給食の食パンをクラスメイトから譲り受けることもありました。

とんねるずに憧れて19歳で芸能界に入ったものの、なかなか成功せず、貧乏生活は続きました。

当時はローカルの情報番組で出演者兼制作スタッフとしてわずかな収入を得ていましたが、所属事務所でアルバイトが禁止されていたため、消費者金融から借金をして生活していました。

借金の総額が250万円に達した時、事務所に内緒でレンタルビデオ店の深夜アルバイトを始めました。

そこで巧みなトークでベテランアルバイトも手こずる延滞金を回収し、そのトークスキルが後に漫才での成功の基盤となりました。

博多大吉さんは運動が得意ではありませんが、中学・高校ともにバスケットボール部に所属していました。

高校ではバスケ部に入るつもりはなかったものの、強豪校に通っていたことから所属することになりました。

弱いチームにいたため、他校の生徒からは「捕虜」と呼ばれていました。

プロレスが大好きで、新日本プロレスを「KING OF EARTH」と崇拝しており、レスラーになる夢を中学生の時に諦めたものの、高校卒業時には社員としてサポートしようと新日本プロレスに履歴書を送ったことがあります。

「アメトーーク!」では「今、プロレスが熱い芸人」として登場し、「知ってるor知ったか?クイズ!バレベルの塔」では「新日本プロレス賢者」認定を目指して出演しました。

吉本興業の後輩、レイザーラモンRGさんが、新日本プロレス所属のレスラー棚橋弘至さんを呼び捨てにすることに立腹し、「チャンピオンなんだから敬え」と説教したこともあります。

喫煙者であり、20歳の頃から1日20本のタバコを吸い続けていました。

2018年の年末に受けた人間ドックの結果、慢性閉塞性肺疾患(COPD)であることが判明し、肺年齢は69歳と診断され、医師から完全禁煙を勧められました。

大のウルトラマン好きで、関連するアパレルグッズのコレクションは100点を超え、ほぼ毎日身につけています。

また、ドラえもんも好きで、「ドラえもん芸人」として『アメトーーク』に出演したり、『グレーテルのかまど』ではビデオ出演でドラえもんとどら焼きの関係性を語ったこともあります。

博多大吉さんは、制作サイドにとって期待通りの仕事をそつなくこなす優等生として重宝されています。

『ゴッドタン』では麒麟の川島明さんと共に「上品芸人」と称され、ピンでの仕事が増えています。

衣装については細かい条件にこだわり、自分なりのポリシーを持っており、以前は迷彩柄もNGとされていました。

一方で、酒に酔うと「面倒くさくてデリカシーのない先輩」に変貌し、後輩に「デキる後輩なら、ここで女の子1人でも…」と要求したり、「俺の性欲をナメるな!」と発言することもあります。

酒の種類については、相方の華丸さんによれば「黒霧島ばかり飲んでいます」とのことです。

交友関係においては、ナインティナインの岡村隆史さんとは吉本興業の同期であり、親友と認め合う仲です。

『トーキョーライブ24時』で知り合った堂本剛さんに「互いに闇を抱えているから」という理由で岡村隆史さんを紹介し、飲みに行った際には二人から「闇を抱えてるのは大吉さんじゃないか?」と言われたこともあります。

また、つぶやきシローさんとは生年月日が同じであり、そのことを華丸さんからネタにされたことがあります。

この縁でラジオ『赤江珠緒 たまむすび』の2021年3月10日放送分で共演し、共に50歳の誕生日を迎えました。

華丸さんとは?

引用元:Instagramより

項目 詳細
名前 博多華丸
本名 岡崎 光輝(おかざき みつてる)
生年月日 1970年4月8日
年齢 54歳(2024年現在)
出身地 福岡県福岡市早良区
身長 173cm
体重 72kg
血液型 B型
職業 お笑い芸人、司会者
コンビ名 博多華丸・大吉
相方 博多大吉
所属事務所 吉本興業
学歴 福岡大学附属大濠高等学校卒業、福岡大学工学部中退
デビュー 1990年
趣味 野球観戦(ソフトバンクホークス)、サウナ、競艇、ランチ探し、ゴルフ、テニス
特技 ものまね
受賞歴 R-1ぐらんぷり2006優勝、THE MANZAI 2014優勝、第26回福岡県文化賞(2019年)


博多華丸さんは、土建業を営む一家の長男として生まれました。

福岡市立大楠小学校、福岡市立高宮中学校、福岡大学附属大濠高等学校を卒業し、指定校推薦で福岡大学工学部に入学しましたが、後に中退しました。

在学中は落語研究会に所属し、高座名を「福々亭茶崙(さろん)」と名乗っていました。

長らく「鶴屋華丸・亀屋大吉」として活動していましたが、福岡吉本の元職員で占いに詳しい人物に相談した際、「博多」の屋号に改名するよう勧められ、コンビ名も「博多華丸・大吉」に改名しました。

福岡では既に名が知られていましたが、同期のカンニング竹山さんが「カンニング」としてブレイクし、後輩のヒロシさんが東京で成功したことに刺激を受け、2005年に拠点を東京に移しました。

現在は神奈川県横浜市に在住しています。

同年12月以降に開催されたR-1ぐらんぷりの予選に初めてエントリーし、決勝に進出しました。

決勝では児玉清さんのモノマネを披露し、「R-1ぐらんぷり 2006」で優勝しました。

2014年には「THE MANZAI 2014」で博多華丸・大吉として優勝し、華丸さんはR-1とTHE MANZAIの両方で優勝した唯一の芸人となっています。

また、2000年には1年間、月に1回吉本新喜劇に出演していました。

博多華丸さんは、主に「華丸」として親しまれていますが、一部のファンや芸人からは本名の「岡崎さん」とも呼ばれています。

この愛称で呼び始めたのは雨上がり決死隊の蛍原徹さんで、華丸さん自身も感謝しており、家族からも喜ばれています。

『アメトーーク』では「ネギ芸人」や「ポテトサラダ芸人」、「油揚げ芸人」といった飲食に関する企画に毎回出演し、食べ物へのこだわりが強いことを示しています。

自らの結婚式も福岡市内の料亭で挙げました。

福岡ソフトバンクホークスの熱狂的なファンであり、選手たちとも公私にわたって交流があります。

2011年の日本シリーズでホークスが優勝した際には祝勝会のビールかけにゲストとして参加しました。キャッチボールは左投げで、以前は広島東洋カープのファンでした。

高校時代には「月刊カープファン」を予約購読し、特に前田智徳選手を好んでいました。

学生時代に、ドラマ『愛しあってるかい!』に出演していた陣内孝則さんを見て、全国放送で博多弁をしゃべりたいと思い立ちました。

また、青春時代から長渕剛さんのファンであり、上京後も長渕さんの新曲発表コンベンションに参加するなど、深いファンぶりを示しています。

『アメトーーク』の「長渕剛芸人」の回にも出演し、長渕さんとのエピソードを語りました。

2015年8月には、「ゴリパラ見聞録」(テレビ西日本)のロケで「長渕剛 10万人オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓」にパラシュート部隊のゴリけんさんらと共に参加し、コンサートを観賞しました。

NHK『連続テレビ小説』やその他のテレビドラマも大好きで、『おしん』、『はね駒』、『走らんか!』、『あまちゃん』、『ひよっこ』などを特に気に入っています。

華丸さんのモノマネリスト

モノマネ 詳細
ばってん荒川 華丸さんの十八番。九州以外ではほぼ知られていないため「地方限定ネタ」とされるが、福岡では児玉清さんのモノマネよりも浸透している。モノマネをする際は「ばってん室見川」と名乗ることもある。
児玉清 『パネルクイズ アタック25』のネタが多く、「アタックチャーンス」「その通り」などの象徴的なセリフを含む。「児玉清のあいうえお作文」というネタもある。
川平慈英 『ASAYAN』のシャ乱Qオーディションでの食い気味のナレーションのモノマネ。サッカー日本代表のスターティングメンバーを発表するうちにホークスの選手に変わるネタや、楽天カードのCMでの「楽天カードマン」など多数のレパートリーがある。
ジョン・カビラ 川平慈英さんの実兄で、慈英さんと同様にナレーションのモノマネを行う。
手嶋準一(気象予報士) 手嶋準一さんのモノマネはテレビ西日本の放送エリア外ではあまり知られていないため、「地方限定ネタ」となっている。
福岡ソフトバンクホークス監督の王貞治 『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権8」で披露。
簑原孝宏(福岡ソフトバンクホークス球団統括本部副本部長) 同じく「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権8」で披露。
トーカ堂社長の北義則 「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権8」で披露。
横峯良郎 「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権8」で披露。
みのもんた テレビ東京『ぶちぬき』で披露。
フィル・ジャクソン NBAの名コーチで、『鉄腕ももち』で外見とリアクションのみのモノマネを披露。
パンチョ伊東 『鉄腕ももち』や『ガッチがち』で披露。
戸張捷 『とんねるずのみなさんのおかげでした』「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権13」で披露。
三笑亭夢之助 『とんねるずのみなさんのおかげでした』「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権19」で、北九州市の「わっしょい百万夏まつり」の司会の様子をモノマネ。


博多華丸大吉の大吉さんの嫁(奥様)はどんな人?

引用元:Instagramより

博多大吉さんの奥様は、宮崎県東臼杵郡門川町出身の一般人女性です。写真のほうは残念ながら見つかりませんでした。

彼女との交際は12年にも及び、2007年11月に結婚しました。

博多大吉さんがまだ売れない芸人だった頃、彼は消費者金融から借金をして生活をしなければならないほど苦しい時期を過ごしていました。

それでも、大吉さんは自分の夢を追い続け、頑張っていました。

そんな中、奥様は一貫して大吉さんを支え続けました。

大吉さんがアルバイトを禁止されていたため、内緒でレンタルビデオ店で深夜のアルバイトを始めるなどして生活を維持していたこともあります​。

彼らの結婚は、華やかさよりも堅実さを重視したものでした。

結婚後も大吉さんは仕事に邁進し続けましたが、奥様はその間も家庭をしっかりと守り続けました。

奥様は大吉さんにとって、精神的な支えであり、彼の成功に欠かせない存在となっています。

大吉さんが語る奥様のエピソードの中でも、特に印象深いのは彼が困難な時期にもかかわらず、彼女が一貫して彼を信じ、支え続けたという点です。

彼が成功を収めた今も、彼らの関係は変わらず、奥様は彼にとって大切な存在であり続けています​。

博多大吉さんの奥様は公の場にはあまり登場しないものの、大吉さんの話からは彼女がどれだけ彼を支え、共に歩んできたかがよくわかります。

彼女の存在が、博多大吉さんの現在の成功に大きく寄与していることは間違いありません。

奥様は天然?

博多大吉さんの奥様には、面白いエピソードがいくつかあります。

その中でも特に興味深いのは、彼女の「天然」な一面です。

ある日、大吉さんの後輩が急遽自宅に来ることになった際、すっぴんだった奥様は化粧をしていないことを気にしていました。

そこで大吉さんは、「マスクで顔を隠せばいい」とアドバイスしました。

奥様はこれを真に受け、大吉さんがコレクションしていたプロレスラーのマスクを被って現れました。

これには大吉さんも驚きつつも笑いが止まらなかったそうです。

プロレス好きな大吉さんにとっても、この出来事はとても愛おしく、楽しい思い出となりました。

また、奥様は普段は非常に温厚ですが、一度だけ大吉さんに対して怒ったことがあります。

ある日、スーパーで買い物をしていた際、奥様がカートを押していたのを見て、周りのカップルは男性がカートを押していることに気づき、「恥ずかしいから代わって」と大吉さんに言ったのです。

これ以降、大吉さんはスーパーに行くときには率先してカートを押すようになったそうです。

これらのエピソードからもわかるように、大吉さんの奥様はユーモアにあふれ、家族の中で笑いを提供してくれる存在です。

また、大吉さんもそんな奥様をとても大切にし、愛情を持って接しています。夫妻の仲睦まじさがうかがえる、心温まるエピソードです。

博多華丸大吉の大吉さんは家庭ではどんな人?

                           引用元:Instagramより

博多大吉さんは、家庭では少し亭主関白な一面を持ち合わせています。

彼は妻との役割分担を明確にしており、その一部が家庭内での彼の振る舞いを象徴しています。

たとえば、風呂上がりには必ず妻がタオルや着替えを用意してくれるのが常で、朝早く仕事に出る際には妻が起こしてくれるのが日常となっています​​。

彼の家庭では、日常のルーチンがしっかりと決まっており、その中で大吉さんは自然と亭主関白的な役割を果たしています。

これにより、大吉さんは家庭内でリラックスし、仕事に集中できる環境が整っているのです。

彼自身も、この役割分担が家庭の安定に寄与していると感じているようです。

また、大吉さんの妻は非常に忍耐強く、夫の多忙な仕事を理解し、サポートしています。

あるインタビューでは、大吉さんが「家に帰ると妻がすぐにタオルを用意してくれる」と話し、その光景が当たり前になっていることを述べています。

これに対して、大吉さんは感謝の気持ちを忘れず、妻に対する感謝をインタビューや公の場で表現しています​​。

博多大吉さんの亭主関白な一面は、彼の家庭においてバランスの取れた関係を維持する一助となっています。

彼の家庭での振る舞いは、家族全員が快適に過ごせる環境を作り出しており、その安定感が彼の仕事での成功にも寄与しているのです​​。

博多華丸大吉の大吉さんの娘さんはどんな人?

博多大吉さんには娘さんはいません。

ネット上で「博多大吉さんに娘がいる」という噂が流れることがありますが、実際には彼に子供はいないという事実が確認されています。

この噂は、おそらく彼の相方である博多華丸さんの娘と混同されたために広まったものです。

博多華丸さんには娘が2人おり、次女の岡崎百々子さんはアイドルグループ「さくら学院」や「BABYMETAL」で活動していることから、誤解が生じたようです ​​。

まとめ

今回は博多華丸・大吉の大吉さんの奥様の話や若い頃の話、経歴等を調べてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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