【最新】清水邦広さんの結婚(再婚)相手は誰?現在までの経歴や元妻(中島美嘉)さんとの関係など徹底解説

本ページはプロモーション(Amazonアソシエイト含む)が含まれています。リンク等はご自由にお使いください。引用元として記載して頂ければ幸いです

清水邦広さんの再婚と現在の生活について、そして中島美嘉さんとの関係を中心にお届けします。

本記事では、バレーボール界で活躍する清水邦広さんの再婚後の新たな一面や、現在の活動について詳しくご紹介します。

また、彼の元妻である歌手の中島美嘉さんとの過去のエピソードや、その後の関係についても掘り下げます。

清水邦広さんの魅力に迫るこの記事を通して、彼の新しいスタートと現在の充実した生活を垣間見てみましょう。

目次

清水 邦広さんとは

                         引用元:Instagramより

項目詳細
名前清水 邦広(しみず くにひろ)
生年月日1986年8月11日
出身地福井県福井市
身長/体重193cm/97kg
ポジションオポジット
所属チームパナソニック・パンサーズ
経歴福井工業大学附属福井高等学校、東海大学
プロ入り2009年 パナソニック・パンサーズ
代表歴2007年 – 2021年 日本代表
主な成績アジア選手権MVP(2015年)、VリーグMVP(2013-14年、2014年)
再婚坂本七菜(2022年1月再婚)
子供2022年9月3日に第1子女児が誕生

清水邦広さんは、ママさんバレーをしていた母親の影響で、小学4年生のときに上宇坂スポーツ少年団でバレーボールを始めました。その後、福井工業大学附属福井高等学校を経て、東海大学に進学しました。

2007年、大学在学中の20歳で全日本代表に選出され、ワールドリーグ東京大会に緊急招集されました。翌日の試合で代表デビューを果たし、ワールドカップでも初戦の勝利に貢献するなど活躍しました。全日本インカレ大会では、当時の全日本監督である植田辰哉さんから激励を受けました。

2008年には、福澤達哉さんとともに最年少の21歳で北京オリンピック代表に選ばれ、出場を果たしました。

2009年4月、パナソニックパンサーズに入団し、11月のワールドグランドチャンピオンズカップで全日本男子が32年ぶりに銅メダルを獲得するのに貢献し、ベストスコアラー賞を受賞しました。また、Vプレミアリーグではパナソニックの優勝に貢献し、最高殊勲選手賞、スパイク賞、ベスト6を獲得しました。

2010年には、黒鷲旗大会でパナソニックの3連覇に貢献し、2年連続で黒鷲賞を獲得しました。

2013年は左手甲を負傷中のため、ワールドリーグのメンバーには選出されませんでしたが、9月の世界選手権アジア最終予選のメンバーに選ばれました。同年のVプレミアリーグでは再びパナソニックの優勝に貢献し、MVPとベスト6、スパイク賞を受賞しました。

2015年8月に開催された第18回アジア選手権では、優勝に大きく貢献し、自身もMVPに輝きました。

2018年2月、Vファイナルステージの対JT戦で右膝に大怪我を負い、全治12か月の診断を受けました。手術とリハビリを重ね、2019-20シーズンにはVリーグで敢闘賞を受賞しました。

2021年の東京オリンピックでは、西田有志さんの控えとして出場し、日本代表の準々決勝進出に貢献しました。準々決勝でブラジルに敗れましたが、この試合をもって日本代表を引退する意向を発表しました。現役続行の意向も示しています。

清水 邦広さんの結婚(再婚)相手は誰?

坂本七菜さん

坂本七菜さんは、和歌山県海南市出身のアナウンサーです。以下は彼女の詳細なプロフィールをテーブル形式でまとめました。

項目詳細
名前坂本 七菜(さかもと なな)
生年月日1994年1月4日
年齢30歳(2024年現在)
出身地和歌山県海南市
学歴関西学院大学社会学部卒業
職歴NHK和歌山放送局(2016年4月 – 2019年3月)<br>テレビ大阪(2019年4月 – 2022年3月)
活動期間2016年 – 現在
特技フットサル
趣味料理、釣り、カヌー、ハイキング、旅行、お笑い鑑賞、スポーツ観戦
担当番組『やさしいニュース』<br>『おとな旅あるき旅』

経歴と活動

坂本菜菜さんは、和歌山県立向陽高等学校を卒業後、関西学院大学社会学部に進学しました。

大学時代には「ミスキャンパス関西学院2013」のファイナリストに選ばれるなど、その美貌と知性が注目されました。

また、地元和歌山の特産品である有田みかんの魅力を広める「有田みかん大使」にも就任し、地域のPR活動にも積極的に参加していました​​。

2016年4月、NHK和歌山放送局に契約キャスターとして入社し、その後2019年4月にテレビ大阪に移籍しました。

テレビ大阪ではニュースキャスターやリポーターとして活躍し、多くの視聴者から支持を集めました。

2022年3月にテレビ大阪を退社した後も、その存在感は色褪せることなく、多くのファンに愛されています。

清水 邦広さんの離婚~再婚までの馴れ初め

清水邦広さんは、2018年に歌手の中島美嘉さんと離婚しました。

その後、2022年1月に再婚した相手は、テレビ大阪のアナウンサーである坂本七菜さんです。

坂本さんは清水さんより7歳年下で、明るい笑顔と親しみやすいキャラクターが魅力的な方です。

二人は知人の紹介で出会い、徐々に親密な関係になりました。

坂本さんはその明るさと人柄で清水さんを支え、二人の関係は深まっていきました。

清水さんも、坂本さんと一緒にいると非常に居心地が良く、自然体でいられると感じたことが再婚の決め手となったそうです。

結婚後、二人は穏やかで幸せな家庭を築いています。

2022年9月3日には第一子となる女児が誕生し、家族としての新たなスタートを切りました。

清水さんはSNSを通じて、妻の坂本さんと娘への感謝と愛情を度々表現しています。

特に、坂本さんが清水さんの仕事やリハビリを支え、家庭を守る姿勢には深い感謝の念を抱いているようです。

坂本七菜さんは、テレビ大阪で活躍する一方で、家庭では良き妻、そして母としての役割を果たしています。

清水さんと坂本さんの家庭は、互いに尊重し合い、支え合う理想的な関係を築いており、これからも二人の幸せな生活が続くことを願っています。

このように、清水邦広さんと坂本菜菜さんの再婚は、互いに支え合いながら新たな生活をスタートさせた素晴らしいものであり、彼らの家族としての歩みがますます充実したものになることを期待しています。

清水 邦広さんの経歴

年度所属チーム主な成績・出来事
2007年東海大学全日本代表に選出。ワールドリーグ東京大会で代表デビュー、ワールドカップでも活躍。
2008年東海大学北京オリンピック代表に最年少で選出され出場。
2009年パナソニックパンサーズワールドグランドチャンピオンズカップで銅メダル獲得、ベストスコアラー賞受賞。Vプレミアリーグでパナソニックを優勝に導き、最高殊勲選手賞、スパイク賞、ベスト6を獲得。
2010年パナソニックパンサーズ黒鷲旗大会でパナソニックの3連覇に貢献し、2年連続で黒鷲賞を獲得。
2013年パナソニックパンサーズ左手甲を負傷しワールドリーグは欠場するが、世界選手権アジア最終予選で復帰。Vプレミアリーグで再びパナソニックを優勝に導き、MVP、ベスト6、スパイク賞を受賞。
2015年パナソニックパンサーズ第18回アジア選手権で優勝に貢献し、自身もMVPに輝く。
2018年パナソニックパンサーズVファイナルステージで右膝に大怪我を負い、全治12か月と診断。手術とリハビリを経て復帰。
2019年-2020年パナソニックパンサーズ2シーズン連続でVリーグ敢闘賞を受賞。
2021年パナソニックパンサーズ東京オリンピックに出場し、日本代表の準々決勝進出に貢献。準々決勝でブラジルに敗れた後、日本代表から引退する意向を発表。

幼少期から大学時代まで

清水邦広さんは、ママさんバレーをしていた母親の影響で、小学4年生のときにバレーボールを始めました。上宇坂スポーツ少年団に所属し、その後福井工業大学附属福井高等学校を経て、東海大学に進学します。彼のバレーボールキャリアは、ここから本格的にスタートしました。

全日本代表デビュー

2007年、大学在学中の20歳で全日本代表に選出された清水さんは、ワールドリーグ東京大会で代表デビューを果たします。その後、ワールドカップでも活躍し、初戦の勝利に貢献するなど、その才能を早くも開花させました。同年の全日本インカレ大会では、全日本監督の植田辰哉さんから激励を受けました。

北京オリンピック出場

翌年2008年には、福澤達哉さんとともに最年少の21歳で北京オリンピック代表に選ばれました。若干21歳でオリンピックの舞台に立つという経験は、清水さんにとっても大きな自信と誇りとなったことでしょう。

パナソニックパンサーズでの活躍

2009年4月、清水さんはパナソニックパンサーズに入団します。同年11月に開催されたワールドグランドチャンピオンズカップでは、全日本男子が32年ぶりの銅メダルを獲得するのに大きく貢献し、ベストスコアラー賞を受賞しました。また、Vプレミアリーグではパナソニックの2年ぶりの優勝に導き、最高殊勲選手賞、スパイク賞、ベスト6を獲得するなど、素晴らしい成績を残しました。

黒鷲旗大会での連覇

2010年には、黒鷲旗大会でパナソニックの3連覇に貢献し、2年連続で黒鷲賞を獲得しました。連覇を達成する中で、清水さんの存在感はますます大きくなり、チームにとって欠かせない選手となっていきました。

ケガからの復帰とさらなる活躍

2013年、左手甲を負傷したためワールドリーグには出場できませんでしたが、9月の世界選手権アジア最終予選で復帰し、チームに大きく貢献しました。同年のVプレミアリーグでも再びパナソニックの優勝に導き、自身もMVP、ベスト6、スパイク賞を受賞するなど、その実力を証明しました。

2015年8月に開催された第18回アジア選手権では、優勝に大きく貢献し、自身もMVPに輝くなど、アジアの舞台でもその存在感を発揮しました。

大怪我からの復活

しかし、2018年2月に行われたVファイナルステージで右膝に大怪我を負い、全治12か月という診断を受けました。この怪我により、手術とリハビリを繰り返すこととなりましたが、清水さんは持ち前の根性と努力で復帰を果たします。2019-20シーズンには、Vリーグで敢闘賞を受賞するなど、再びその実力を示しました。

東京オリンピックと日本代表引退

2021年、東京オリンピックでは若きエース・西田有志さんの控えとして出場し、日本代表の準々決勝進出に貢献しました。準々決勝でブラジルに敗れた後、日本代表から引退する意向をInstagramで発表しましたが、現役選手としてのキャリアは続ける意向も示しています。

清水 邦広さんの元妻(中島美嘉)さんとの離婚理由は?

中島美嘉さん

                         引用元:Instagramより

項目詳細
名前中島 美嘉(なかしま みか)
生年月日1983年2月19日
年齢41歳(2024年現在)
出身地鹿児島県日置市
職業歌手、女優、作詞家、モデル、声優
活動期間2001年 – 現在
所属事務所アワーソングス
所属レーベルソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ
代表作「雪の華」「GLAMOROUS SKY」「STARS」「LIFE」

清水邦広さんと中島美嘉さんは、2014年に結婚しましたが、2018年に離婚しました。

離婚の主な理由として挙げられるのは、長距離のすれ違い生活と、忙しい仕事のスケジュールによるものです。

中島美嘉さんは主に東京で活動しており、一方の清水邦広さんは大阪を拠点にバレーボール選手としてのキャリアを続けていました。

このため、二人は月に3〜4回しか会うことができず、次第に心の距離も広がっていったとされています。

遠距離での結婚生活は、どんなに愛情があっても厳しいものです。

中島美嘉さんも「夫が試合や遠征で家にいないことが多く、なかなか一緒に過ごせなかった」と語っています​。

また、中島美嘉さんは音楽活動が中心であり、清水邦広さんはプロのスポーツ選手として多忙な日々を過ごしていました。

お互いの生活リズムが大きく異なり、一緒にいる時間を作るのが難しかったのです。

さらに、二人の間に子供がいなかったことも影響したと言われています。

中島美嘉さんはインタビューで「わずかな時間を一緒に過ごすことすら難しかった」と述べており、その中での子供を望むプレッシャーもあったようです​。

離婚に際して、中島美嘉さんは「結婚生活を続ける中で、互いの未来のために別々の道を選ぶことが最良の選択だと感じました」と述べています。

清水邦広さんも、別れを決断したことについて「お互いのことを思いやった結果」と語っており、二人の間には今でもリスペクトがあることが伺えます​。

まとめ

今回は清水邦広さんの再婚について、再婚相手や過去の中島美嘉さんとの関係、経歴等を調べてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次