【最新】中村獅童さんの現在は?いとこはいる?長男・次男の家族の事、過去の病気等経歴を徹底解説

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中村獅童さんは日本を代表する俳優であり、歌舞伎役者としても名高い人物です。

彼の家族には特別な絆があり、いとこの存在や奥様・自身の息子の長男、次男の成長といった背景が彼の人生に大きな影響を与えています。

彼らの存在は、彼の芸能活動における重要な支えとなっています。

さらに、彼は過去に病気と闘った経験があり、その克服が彼の人間性をより深めました。

この記事では、中村獅童さんの家族との絆や病気との闘い、経歴や病気について調べてみました。是非最後までご覧ください。

目次

中村獅童さんとは

                         引用元:Instagramより

項目詳細
本名小川 幹弘(おがわ みきひろ)
生年月日1972年9月14日
出身地東京都
身長177cm
体重70kg
血液型O型
学歴明星学園高等学校卒業、日本大学藝術学部中退
家族父は初代中村獅童(本名:小川三喜雄)
歌舞伎名跡二代目中村獅童
初舞台1981年、歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』にて
主な映画『ピンポン』(2002)、『現在、彼に会いたい』(2004)、『男人們的大和』(2005)
主なテレビドラマ『木更津キャッツアイ』(2002)、『新選組!』(2004)
声優活動『DEATH NOTE』シリーズ(リューク役)、『ヴェノム』シリーズ(ヴェノム役)
教職京都文教大学客員教授、ハリウッド大学院大学客員教授

1981年6月、歌舞伎座で上演された『妹背山婦女庭訓』において、「御殿」の豆腐買いの娘おひろ役で、二代目中村獅童さんは8歳で初舞台を踏みました。

彼の名跡「獅童」は、祖父三代目中村時蔵さんの俳号に由来しています。

この6月の大歌舞伎では、従兄弟の五代目中村歌六さん、三代目中村歌昇さん、五代目中村時蔵さんとともに、萬屋一門4名の襲名披露興行が行われました。

中村獅童さんには特定の師匠や付き人はおらず、楽屋での準備は全て母親が手伝っていたそうです。

中学生の頃から役がつかなくなり、ロックに傾倒してバンド活動を始めました。明星学園高等学校を卒業後、日本大学藝術学部演劇学科に入学しましたが、家族の反対を押し切り、歌舞伎への憧れが強まったため大学を中退しました。

その後、野田秀樹さんや大人計画のオーディションを受け始めましたが、しばらくは落選が続きました。

しかし、2002年公開の映画『ピンポン』で準主役のドラゴン役を射止め、日本アカデミー賞やゴールデン・アロー賞、ブルーリボン賞、日本映画批評家大賞、毎日映画コンクールなどの新人賞を多数受賞しました。

以降、映画やドラマに数多く出演し、声優としても活躍しています。特に悪役や強面に似合わない性格を持った役柄を演じることが多いです。

歌舞伎役者としては長身(177cm)で、武張った雰囲気を持つ立役です。花形歌舞伎や大歌舞伎などへの出演のほか、十八代目中村勘三郎さんの企画するコクーン歌舞伎や平成中村座公演、五代目坂東玉三郎さんの舞踊公演、泉鏡花作品の公演に複数回出演しています。

シネマ歌舞伎化された公演にも参加しており、十一代目市川海老蔵さんの企画する六本木歌舞伎や古典への誘いにも出演しています。

さらに「歌舞伎を見たことのない人々に歌舞伎を知って欲しい」という思いから、新しい試みにも取り組んでいます。

2015年6月には京都南座で新作歌舞伎「あらしのよるに」を初演しました。

この公演は4歳以上の子どもも入場可能で、親子で楽しめる分かりやすい内容でしたが、古典の手法を用いて表現されていました。

2016年にはニコニコ超会議で初音ミクと共演する「超歌舞伎」の上演も行いました。

この公演ではNTTの超高臨場感通信技術「Kirari!」が使用され、古典の要素と最新技術が融合した舞台が話題となりました。

以降、毎年上演を重ね、2019年には京都南座での公演も行われました。2020年にはコロナ禍のため配信公演となりましたが、2021年には再び有観客での公演が行われました。

2017年5月、人間ドックで初期の肺腺癌が発見され、治療に専念するため舞台を休演しました。

同月末には手術を受け、6月上旬に退院しました。その後、テレビ番組で脳動脈瘤からの出血により極秘手術を受けていたことも明かしています。

2021年には次男の小川陽喜さんとともに初お目見えの会見に出席し、翌年には新型コロナウイルスに感染したことが公表されました。

同年、新プロジェクト「meme nippon project」を始動させ、日本文化の美意識や精神を次世代に伝えることを目指しています。

過去の受賞歴

受賞内容詳細
1983年10月松竹社長賞『春日局』竹千代役
1996年8月歌舞伎座社長賞『狐狸狐狸ばなし』牛娘おそめ役
1997年6月国立劇場特別賞『歌舞伎の見方』解説
2000年関西・歌舞伎を愛する会奨励賞、十三夜会賞
2003年3月日本アカデミー賞、ゴールデン・アロー賞(映画新人賞)、ブルーリボン賞、日本映画批評家大賞、毎日映画コンクールの各新人賞映画『ピンポン』(ドラゴン役)
2004年3月日本アカデミー賞優秀助演男優賞、浅草芸能大賞新人賞映画『阿修羅のごとく』(勝又静雄役)
2004年日刊スポーツ映画大賞助演男優賞映画『いま、会いにゆきます』
2005年第16回日本ジュエリーベストドレッサー賞男性部門
2005年3月ゴールデン・アロー賞演劇賞舞台『浪人街』『丹下左膳』
2006年第3回COTTON USAアワード『Mr.COTTON USA』
2009年重要無形文化財(総合認定)、伝統歌舞伎保存会会員
2014年第6回沖縄国際映画祭 主演男優賞『振り子』
2016年第10回日藝賞
2018年イクメン オブ ザ イヤー イクメンファッション部門

19歳の頃、叔父の萬屋錦之介さんが座長を務める巡業公演に参加した際、「顔で演じるな、心で演じろ」と助言を受けました。

その後、俳優として有名になり、歌舞伎での役もつくようになりましたが、「型」が身につかないことに悩んでいた時期がありました。

その際、無名時代からお世話になり「兄さん」と慕っていた五代目中村勘九郎さん(後の十八代目中村勘三郎さん)から「獅童は心を入れる芝居ができているのだから、その最大の武器を大切にした方がいい。歌舞伎の型はやっているうちに上手になるから」と励まされました。

中村獅童さんは、この二人の名優から『心で演じることの大切さ』を学び、甘えや慣れが出る時の戒めとしています。

映画『ピンポン』に出演した際には、役作りのためにスキンヘッドと強面の風貌をしていたため、警察に職務質問されることが多かったそうです。

NHKテレビ絵本『あらしのよるに』では、獅童さんは動物三役を一人で演じましたが、最初は配役のうちの一役を担当すると思っていたそうです。

彼の母親はこの作品をとても気に入り、絵本の絵を担当したあべ弘士さんに依頼して着物の帯に絵を描いてもらい、「いつか獅童が大きな役を演じることができるように」と願い、歌舞伎化の企画書を作成していました。

獅童さんは母親の死後、2015年初演の稽古中に松竹からその事実を知らされました。

2018年10月、フランス・パリでの芸術イベント「ジャポニスム2018」の公式企画として行われた松竹大歌舞伎に出演しました。

この際、同イベントの広報大使で個展「NAKAMA des ARTS」を開催した香取慎吾さんと再会し、AbemaTV「7.2 新しい別の窓」で対談しました。

この二人は大河ドラマ「新選組!」で共演しており、共演者たちと20年近く毎年忘年会を開いているそうです。

歌舞伎役者としての体型が貫禄があると言われ、稽古で自然に筋力がつくため特別なトレーニングはしていませんが、現代劇の仕事の前には減量のためにトレーニングと食事制限を行います。

突然決まる仕事があると困ることもあるそうです。

2021年7月17日、同年9月に有観客で行われる「九月南座超歌舞伎」の製作発表記者会見に出席しました。

4月に幕張メッセで2年ぶりの有観客公演が行われたことについて「マナーの良いファンのおかげ」と感謝を述べました。「声を出さない、マスク着用など、ルールを守って万全な安全対策のもとに行えば乗り越えていけると感じています。

もちろん、世の中の状況に合わせて判断する必要がありますが、超歌舞伎が安全であることを証明していける公演になればと願っています」と述べ、ファンの協力に感謝を示しました。

中村獅童さんの家族

                         引用元:Instagramより

父親 初代中村獅童(本名:小川三喜雄)


初代中村獅童(本名:小川三喜雄)さんは、歌舞伎役者として若くしてデビューし、三代目中村時蔵さんの三男として歌舞伎の世界に入りました。

しかし、彼は十代で歌舞伎役者を廃業し、銀行員に転身しました。

その後、弟の萬屋錦之介さんが映画俳優として活躍する際にはプロデューサーとして支え、弟の成功に大きく貢献しました。

初代中村獅童さんは、息子の中村獅童さんが歌舞伎役者として活動する際には直接の後押しはしなかったものの、家族として見守り続けました。

晩年は息子のために有限会社中村獅童事務所を設立し、会長として息子の活動を支援しました。

2008年に亡くなりましたが、その影響は現在も中村獅童さんのキャリアに深く刻まれています​

いとこ 中村歌六さん・中村歌昇さん・中村時蔵さん

五代目中村歌六さん

五代目中村歌六さんは、歌舞伎界で高い評価を受ける立役の一人です。彼の演技は力強く、数々の名作に出演しています。歌六さんは、伝統を守りながらも新しい挑戦を続ける姿勢で、観客を魅了しています​​。

三代目中村歌昇さん

三代目中村歌昇さんは、歌舞伎役者として幅広い役柄を演じる実力派です。若手ながらもその技術は高く評価されており、将来を期待されています​。

五代目中村時蔵さん

五代目中村時蔵さんは、歌舞伎界の名門に生まれ、現在も活躍中の名役者です。彼は、伝統を重んじながらも革新を取り入れた演技で知られ、多くの観客を魅了しています​。

妻 小川沙織さん

小川沙織さんは、中村獅童さんの現在の妻で、元読者モデルとしても活動していました。

彼女は「クロムハーツ・東京」の広報として働いていた際に、中村獅童さんと出会いました。

二人は2010年頃に出会い、2015年に結婚しました。沙織さんは獅童さんとの間に二人の息子を持ち、家族としての絆を深めています。

彼女の名前「沙織」から一文字を取った長男「陽喜(はるき)」くんと、獅童さんの本名「幹弘(みきひろ)」から一文字を取った次男「夏幹(なつき)」くんがいます。

小川沙織さんは、夫のキャリアを支えながら、家族との時間を大切にしている素晴らしい母親です。

彼女の支えがあってこそ、中村獅童さんも多忙な歌舞伎や俳優活動を続けることができています。

長男:小川陽喜(はるき)くん

小川陽喜(はるき)くんは2017年12月18日に生まれました。

彼の名前は、中村獅童さんの両親の名前から一文字ずつ取って名付けられました。

幼少期に重い肺炎を患い、一時は命の危険にさらされましたが、現在は健康を取り戻し、元気に過ごしています。

陽喜くんは、父親と共にイベントに参加することも多く、特に「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」のレッドカーペットイベントではスパイダーマンのコスプレをして注目を集めました。

中村獅童さんは、陽喜くんの成長を温かく見守りながら、家族としての時間を大切にし、インスタグラムやYouTubeを通じてその日常をファンと共有しています​。

次男:小川夏幹(なつき)くん

小川夏幹(なつき)くんは、2020年6月28日に生まれました。

彼の名前「夏幹」は、獅童さんの本名「幹弘(みきひろ)」の一部を取り入れて名付けられました。

夏幹くんは生まれつき両手の小指が欠損している先天性四肢障害を持っています。

これにより、彼はすでに二度の手術を受けており、現在は日常生活に大きな支障はなく元気に過ごしています。

中村獅童さんは、夏幹くんの障害について公表することで、同じような境遇にある人々に勇気を与えたいと考えています。

家族としての絆を大切にしながら、夏幹くんの成長を温かく見守る姿勢が多くの人々に感動を与えています。

前妻 竹内結子さん

竹内結子さんは、日本を代表する女優で、数々の映画やドラマで活躍しました。

1980年4月1日に埼玉県浦和市で生まれ、1996年にドラマ『新・木曜の怪談 Cyborg』でデビューしました。

その後、『いま、会いにゆきます』や『黄泉がえり』などのヒット作に出演し、数々の演技賞を受賞しました。

中村獅童さんとは2005年に結婚し、一児をもうけましたが、2008年に離婚しました​ 。

竹内さんはその後、2019年に俳優の中林大樹さんと再婚し、もう一人の子供を授かりました。

彼女のキャリアは順調でしたが、2020年9月27日に自宅で亡くなり、多くのファンや同僚に衝撃を与えました。

彼女の演技は今も多くの人々の心に残っています

中村獅童さんの過去の病気

                         引用元:Instagramより

中村獅童さんは、そのキャリアの中でいくつかの深刻な病気を経験しました。特に注目されていたのは、2017年に診断された肺腺がんです。

2017年5月に定期検診を受けた際、初期の肺腺がんが発見されました。幸いにも早期発見だったため、すぐに治療に取り組むことができました。

中村さんは公に病気を公表し、ファンや家族からの支援を受けながら治療を進めました。同年6月に手術を受け、肺の一部を切除しました。

手術は成功し、術後の経過も良好で、数週間後には退院しています​​。

また、中村さんは2015年にも脳動脈瘤からの出血を経験し、極秘に手術を受けていたことを後に明かしています。

この時も早期発見と迅速な治療のおかげで、大事には至りませんでしたが、二度にわたる大病は彼の心身に大きな影響を与えました​。

これらの経験を通じて、中村さんは健康の大切さを再認識し、日々の生活においても健康管理を徹底するようになりました。

特に肺腺がんの治療後は、定期的な検診を欠かさず受け、体調管理に細心の注意を払っています。また、彼の病気公表とその後の闘病記録は、多くのファンに勇気と希望を与えるものでした。

病気を乗り越えた彼の姿は、多くの人々にとって励ましとなり、彼自身もまた新たな決意を持って芸能活動に取り組んでいます。

息子さんの病気

                         引用元:Instagramより

次男:小川夏幹(なつき)くん

中村獅童さんの次男、夏幹(なつき)くんは、先天性四肢障害を持って生まれてきました。

この障害は、生まれつき両手の小指が欠損している状態で、医学的には「合指症」と呼ばれています。

合指症は、隣り合った指の一部または全てがくっついてしまう状態を指し、夏幹くんの場合はこの障害が見られました。

生まれた当初、中村獅童さんは息子の将来を思い、涙したと語っていますが、同時にこの障害が息子にとっても大きな武器になると前向きに捉えています。

中村さんは、「障害は役者にとって最大の武器になる」とし、息子の将来を応援する姿勢を示しています​​。

治療については、夏幹くんはこれまでに二度の手術を受けており、現在は日常生活に大きな支障はなく元気に過ごしています。

家族の支えとリハビリを通じて、物を掴む際の不便さなども克服していく予定です。

中村獅童さんは、息子の障害を公表することで、同じような状況にある他の家族にも勇気を与えたいと考えています。

彼の家族に対する愛情と支援の姿勢は、多くの人々に感動を与えています。

まとめ

今回は中村獅童さんについて、息子さんや家族についてまとめてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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