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【最新】仲良し過ぎるおぎやはぎの小木 博明さんは意外な学歴?経歴等エピソードを徹底解説

雑学
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おぎやはぎとは?

項目内容
コンビ名おぎやはぎ
メンバー矢作兼、小木博明
活動開始1995年
所属事務所プロダクション人力舎
活動内容お笑い、ラジオ、映画、ウェブテレビ、コマーシャルなど
代表作『おぎやはぎのメガネびいき』、『おぎやはぎの「ブス」テレビ』、『ゴッドタン』など

おぎやはぎは、漫才とコントの両方を行うコンビです。漫才では、お互いを褒め合い、高め合うようなネタが多く、ジワジワと笑いを誘う脱力系のスタイルです。彼らの漫才は、スローテンポで進行し、激しいツッコミはなく、むしろ「宥め」や「訂正」、「説得」とも取れるような展開が特徴的です。

漫才のつかみでは、「小木です」「矢作です」「おぎやはぎです」「おぎやはぎですけど何か?」「おぎやはぎですけど何か質問でも?」などと自己紹介してから漫才に入ります。

おぎやはぎの漫才では、自己紹介の部分の「何か」の部分が変わることがあります。例えば、「怪我をしないように頑張ります」とか、正月には「あけましておめでとうございます」といった言葉に変わることがあります。また、テレビでは「何か問題でも?」という言葉が長いため、「何か?」と短くしてから漫才に入るようになりました。

漫才のネタでは、小木博明さんが「…になりたい」または「…したい」と矢作兼さんに頼み、矢作さんが「小木に言われると弱いからな」と答え、2人で協力するような展開が定番です。日常的な会話を取り入れた前振りを使うことで、漫才の雰囲気が生まれます。

元々コントを専門としていたおぎやはぎですが、2001年に漫才のコンテスト『M-1グランプリ』に出場するために漫才を始めました。矢作さんと小木さんは、コント用の小道具の用意や持ち運びが面倒だったため、マイク1本でできる漫才を選んだと語っています。M-1グランプリ出場以前からも、笑福亭鶴瓶さんなど一部の関係者からおぎやはぎの漫才は高く評価されていました。

おぎやはぎは、頻繁に単独ライブやユニットを組み、コントを披露していましたが、2005年以降はテレビへの露出が増え、コントライブは行われていません。単独ライブのコントを収録したDVDは、JACK POTの1本のみしか発売されていません。

おぎやはぎのコントは、独特の間と空気感で「中毒性がある」と評され、長編コントが多いのが特徴です。テレビでは、時間制限のため短めのコントや漫才が主流となっています。彼らは、バラエティ番組で独自のスタンスを取り、騒ぐ場面では口を閉ざし、無表情で存在感を示して注目を集めました。最近では、毒気のある発言も増えてきています。

2人のエピソード

おぎやはぎの2人は、山梨県に縁があります。矢作兼さんは山梨県生まれで、小木博明さんの母親は山梨県甲府市出身です。また、2人の出会いは、東京都立北野高等学校時代で、小木さんはサッカー部、矢作さんはテニス部でそれぞれキャプテンを務めていました。

オーディション時に、コンビ名を決めずに「小木と矢作」と書いてから部屋に入ると、「次はおぎやはぎ」と呼ばれたことで、これがそのままコンビ名になったそうです。

おぎやはぎの2人は、所属事務所がプロダクション人力舎になる以前、フリーで活動していた時期がありました。その後、ナベプロ(現在のワタナベエンターテインメント)やホリプロなど、東京の事務所を転々としていたことがあります。

また、2人とも芸能界入り前はサラリーマンをしており、一時期は海外に滞在していた経験があります。小木博明さんはハワイ、矢作兼さんは中国で過ごし、2人とも英語に堪能です。

おぎやはぎは、デビューが遅かったため、年下の先輩芸人が多いです。これにより、ロンドンブーツ1号2号、アンタッチャブル、バナナマン、アンジャッシュ、有吉弘行などの年下の先輩芸人に対してタメ口を使うことが許されています。これは、芸歴にこだわらない自由なスタイルが認められているからです。芸歴はスクールJCAの3期より後輩で4期より先輩(3.5期)で、吉本興業ではガレッジセールが同期にあたります。

野田凪さんは、おぎやはぎの大ファンで、テレビをあまり見なかった彼女が、おぎやはぎを知ってからテレビを観るようになったと語っています。彼女は、おぎやはぎの番組収録を観に行くために友達と一緒に応募するほどの熱心なファンで、『おぎやはぎnoだっぴんぐ』では制作費を出しておぎやはぎのPVを制作するなどしています。

また、小木博明さんの妻である森山奈歩さんは、森山良子さんの娘で、個性的なキャラとしてバラエティ番組で度々ネタにされています。おぎやはぎの2人は、大の自動車好きであり、テレビやラジオで自動車の冠番組を持つまでに至っています。

2人がそろって眼鏡をかけるようになったのは、加藤浩次さん(極楽とんぼ)の助言によるものです。それまでは、小木博明さんだけが眼鏡をかけていました。明石家さんまさんからも「2人揃って眼鏡をかけているコンビは珍しいよね」と言われたことがあります。

おぎやはぎの広い交友関係

おぎやはぎは、バナナマンと非常に仲が良く、営業で楽屋を共にしたり、ユニット「宇田川フリーコースターズ」を結成してライブを行うなど、共演の機会が多いです。テレビ番組『くりぃむナントカ』『落下女』『30minutes』『ゴッドタン』などでも共演しており、ラジオ番組『おぎやはぎのメガネびいき』のレイティング時期にはバナナマンがゲストとして頻繁に登場していました。

また、劇団ひとりやラーメンズとも交友があり、「君の席」というユニットを組んでいたこともあります。

おぎやはぎの初期ライブでは、「おぎやはぎ+3」で小林賢太郎(元ラーメンズ)、山崎弘也(アンタッチャブル)、飯塚悟志(アルファルファ(現・東京03))と共演したり、「おぎやはぎつかじ」では塚地武雅(ドランクドラゴン)、飯塚と共演していました。

また、「東京ヌード」ではドランクドラゴンやアルファルファとユニットを組むなど、公私ともに交流のある芸人との共演が多かったです。

バカリズムとは同期ですが、おぎやはぎが年上のため、バカリズムはおぎやはぎに敬語で接しています。2002年にユニットコントライブ「光が丘大サーカス」で共演し、その後も『ゴッドタン』『クイズ☆正解は一年後』などで多く共演しています。

おぎやはぎとFUJIWARAは、事務所や芸歴、芸風が異なりますが、日本テレビ系の『ロンブー龍』で共演したことをきっかけに仲良くなりました。共演したコーナーでネタがウケず、お互いの傷を癒やす中で交流が深まったようです。その後、『クイズ☆タレント名鑑』『テベ・コンヒーロ』など、多くの番組で共演しています。

また、おぎやはぎは、2019年5月7日に新宿末廣亭で行われた落語家・瀧川鯉斗の真打昇進披露興行に出演し、初めて寄席定席で漫才を披露しました。

アンジャッシュの渡部建さんが不倫騒動を起こす前から、おぎやはぎは彼の「爽やかなイメージ」とは異なる本性を知っており、騒動を受けて小木博明さんは「世間は騙されていた」とコメントしています。

二人の仲が良すぎるエピソード

おぎやはぎは、とても仲の良いコンビとして知られています。学生時代から親しく、高校時代には「2人は付き合っているのでは?」という噂が立ったこともありました。

また、小木博明さんが高校一年のときに付き合っていた人と、矢作兼さんが高校三年から七年間付き合ったなど、エピソードも豊富です。矢作さんが小木さんと遊びすぎて彼女に振られたこともあり、2人は今まで一度も喧嘩をしたことがありません。

矢作兼さんは、上海で仕事をしていた頃にホームシックで悩んでいたことがありました。その際、小木博明さんに助けを求めて電話をすると、次の日に小木さんが上海まで会いに来てくれたという驚きのエピソードがあります。

また、ゴルフ中に矢作さんが「小木と毎日楽しく暮らせたらいいのになー」と言うと、小木さんが「俺、仕事辞めて来た」と答え、矢作さんのために安定した仕事を辞めたことがありました。

また、プライベートでハワイに別々に行った際、4日間の滞在のうち2日間一緒に遊んだり、眼鏡を買うときに一緒に買い物に行くなど、非常に仲の良いコンビとして知られています。ラジオ番組でも、2人で食事に行くことを公言しています。

古閑陽子アナウンサーによると、おぎやはぎの矢作兼さんと小木博明さんは、ロケやバス移動中も一緒にいて、食事中にお互いに先に食べていいよと譲り合うなど、非常に仲の良いコンビです。

矢作さんは、小木さんの写真を頻繁に撮り、「小木はどんなポーズでもかっこいい」と褒め、小木さんも「矢作はなんでも知っている」と互いに褒め合っていました。このエピソードを聞いた2人は、「恥ずかしいよ」と赤面していたそうです。

おぎやはぎの仲の良さは、加藤浩次さんから「こいつらは本当にコンビ仲が良すぎる」と言われ、ハワイに一緒に行ったことも暴露されています。また、『おすぎとピーコの金持ちA様×貧乏B様』では、ピーコさんから「体の関係があるのでは?」と唐突に聞かれるほど、裏でも仲が良い雰囲気が見られました。

人力舎の後輩である飯塚悟志さん(東京03)によると、おぎやはぎはビジネスライクな関係が当たり前の時代にも、仲の良さを隠さず、事務所の雰囲気そのものを変えたそうです。

小木 博明(おぎ ひろあき)さん

項目内容
生年月日1971年8月16日
出身地東京都
お笑いコンビおぎやはぎ
コンビ結成1995年
職業お笑いタレント
相方矢作兼
主な出演番組TBSラジオの「JUNK『おぎやはぎのメガネびいき』」、
テレビ東京の「ゴッドタン」など
趣味カーマニアとして知られ、さまざまな車を所有
家族結婚してから妻の母親と同居。過去には義弟の森山直太朗さんも同居していた。
健康2020年に腎細胞がんと診断され、手術を受けた後、仕事に復帰。

2006年10月10日に、元歌手の森山奈歩さんと6年間の交際を経て結婚・入籍されました。そのため、森山良子さんは義母となり、森山直太朗さんは義弟として家族に加わりました。また、かまやつひろしさん、TAROかまやつさん、ティーブ・釜萢さんらは姻戚関係にあたります。

2008年には、自身初の映画『ピューと吹く!ジャガーTHE MOVIE』に出演されました。

そして、2011年1月4日に放送された『IPPONグランプリ 2011開幕戦』(フジテレビ)に初出場ながら、見事優勝されました。

2020年8月14日(13日深夜)放送の『木曜JUNK おぎやはぎのメガネびいき』(TBSラジオ)にて、小木さんが初期(ステージ1)の腎細胞がんであることを公表されました。その後、同17日から入院し、治療に専念されることが明らかにされました。手術は無事に成功し、2020年9月には仕事に復帰されました。

2013年の愛車はランドローバー・レンジローバーイヴォークとラーダ・ニーヴァ、アルファロメオ・ジュリア(段付きのGT1300ジュニア)でした。2014年にはアウディ・クワトロ、2015年にはメルセデス・ベンツ・250と乗り換えられています。小木さんは元々カーマニアであり、過去には10台以上の車を乗り継いでいたそうです。

また、小木さんの父親は福井県にいた頃は「小木清(こぎきよし)」と名乗っていましたが、上京する際にこっそりと「小木是清(おぎこれきよ)」に改名したとのことで、法的にも認められているそうです。

独身時代は妻と2人だけで同棲していましたが、結婚してからはずっと妻の母親である森山良子さんと同居しています。最初は義弟の森山直太朗さんも同居していましたが、小木さんが直太朗さんの部屋を使うことになったため、直太朗さんは一人暮らしを始めました。

2016年には新しい家を建てましたが、それは二世帯住宅で義母と同居している形態です。

若い頃は坊主頭でした。相方の矢作さんも同様に坊主頭の時期があり、バナナマンの設楽統さんからは「そんな奴らがコントで笑わそうとしてるなんて無理でしょ!」と言われたそうです。また、設楽さんによると、バイトで油紙に包まれた何かを配達しており、「ピストルの運び屋をやっていた」とまで言われていましたが、実際は今で言うUberのようなバイトだったそうです。

酒はかなり弱く、そのため普段はあまり飲まない方です。一方で、かつては喫煙者であったそうですが、2020年に腎細胞がんを患ってからは、タバコを吸っていないそうです。

下積み時代には『行列のできる法律相談所』の再現VTRに出演したことがあります。その映像は2006年の『24時間テレビ「愛は地球を救う」』内の深夜コーナーで放送され、本人が2021年4月25日に『行列』に出演した際に明かされました。

また、浮所飛貴さん(美少年/ジャニーズJr.)の大ファンだそうです。

矢作 兼(やはぎ けん)さん

項目内容
生年月日1971年9月11日
出身地東京都
お笑いコンビおぎやはぎ
コンビ結成1995年
職業お笑いタレント、司会者、YouTuber
相方小木博明
家族2019年に第一子、2023年に第二子が誕生。姉と母と仲が良い
趣味2008年から2023年まで様々な車を所有。中国語と英語が堪能
評価芸人や放送作家から、話術の巧さや人付き合いの上手さで高く評価されている

山梨県の富士吉田市で生まれ、両親の離婚後はずっと東京の池袋で育ちました。大学に進学しなかった理由は、「中学が荒れすぎていたから」と話しています。

高校3年の時、相方の小木と同じクラスになった際、最初は「気持ち悪いやつだな」と思っていたそうですが、隣の席になってからは「もうイチコロだった」とのことです。

また、『ゴッドタン』(テレビ東京)では、私立恵比寿中学の柏木ひなたの大ファンであることを公言し、自ら公式おじいちゃんとして活動しているそうです。

名前の「兼」は祖母とお坊さんが命名したそうです。

2019年8月、同月18日に第一子が誕生したことを、同月25日に放送された『ゴッドタン』内で発表し、「朔太郎」(さくたろう)と命名したことを、同年9月5日放送の『おぎやはぎのメガネびいき』内で公表しました。そして、2023年2月14日には第二子が誕生したことを、同月17日放送の『メガネびいき』内で公表しました。

姉と母との仲が良く、一緒に海外旅行に行くほどです。母の日には友達の花屋さんが自動的に実家に花を贈るそうです。

オードリーの2人が独身の頃、「彼女がいない」と若林が話したところ、「ヤバいよ」「俺は結婚が遅かったけど彼女はずっといたからね」と話し、設楽統に「矢作さんの歴代の彼女はすごい美人」と言われ、「顔に均整が取れてるだけ」と話していたそうです。

愛車に関しては、2008年に997型ポルシェ・911カレラ4PDK、2010年にはランドローバー・レンジローバー、2012年には『おぎやはぎの愛車遍歴』の企画で購入したロールス・ロイス・シルヴァーシャドウという経歴があります。さらに、2013年にはフィアット・500も所有していたそうです。

また、1981年式のハーレーダビッドソンも所有していると言われています。2013年春には大型自動二輪車免許を取得したそうですが、同年8月7日に横浜横須賀道路下り車線のトンネル内を時速60kmで走行中に転倒し、右腕の骨折や全身打撲などのけがを負ったそうです。

さらに、サラリーマン時代に中国に赴任していた経験から、中国語と英語が堪能だということもあります。

マッコイ斎藤さんは長年の友人である矢作に対し、「男に凄くモテる男、そういう男なんです」という高い評価を与えています。同じ事務所のオアシズ・光浦靖子も、矢作に関して『テレビブロス』のコラムで、人力舎のメンバーたちが矢作に憧れていると述べています。彼女はおぎやはぎの現場での印象が非常に良く、芸人としても信頼できる存在だと語っています。

親交の深いバナナマン・設楽統は矢作を

「人付き合いの天才」

「矢作さんとしゃべっているとみんな矢作さんのことが好きになる」

「誰しも矢作さんに好かれたくなる、そう思わせる才能がある」

「ナンバー1のナンバー2(ナンバー2の中で1番の意)」

「芸能界の永久パスポートを俺らの世代でもってるのは矢作さんだけ」

「可愛いんですよ。抱きしめたくなることが何度かある。矢作さんに惚れてるんでしょうね。心底」

と評しています。また、昔から交友のある放送作家のオークラは、「矢作さんがムードメーカーなんですよね。矢作さんがいることで場が和むというか。そういう根っからの性格の良さがあるから、なんでもうまくまとまるんですよね」と語っています。

小木 博明(おぎ ひろあき)さんの学歴

学校学歴情報
小学校板橋区立上板橋第一小学校
中学校板橋区立上板橋第一中学校
高校北野高校(現在は板橋有徳高校)

小学校

小木博明さんの出身小学校は、東京都にある公立の板橋区立上板橋第一小学校です。小木さんの家族は、両親と兄2人の5人家族です。父親は歯科医師で、兄2人も医師だそうです。

小木さんは、小学生時代に友人とくすぐり合っている時、自分が笑えば相手も調子に乗ることに気づき、感情表現が控えめになったといいます。また、小学校では放送委員を務めたり、ハードルの選手として区の大会に出場したりしていました。さらに、少年野球チームにも所属していたので、運動神経が良かったようです。小学2年生からはサッカーを始めています。

中学校

小木博明さんの出身中学校は、東京都板橋区内の公立校である板橋区立上板橋第一中学校です。小学校や中学校は、相方の矢作兼さんとは異なる学校に通っていました。中学時代、小木さんはサッカー部に在籍しており、また柔道を学ぶために道場にも通っていました。

さらに、中学時代に「小木キスクラブ」というグループを作り、公園などでキスの練習をしていたといいます。このクラブには男子4人、女子4人が在籍し、誰が最も上手くキスできるかを競っていたそうです。

卒業生には、芸能リポーターの阿部祐二さんや、お笑いコンビ「鬼越トマホーク」の金ちゃんさんなどがいます。

高校

北野高校は東京都にある共学校で、偏差値は50程度でした。2006年に都立志村高校と統合され、現在は板橋有徳高校になっています。

小木博明さんはこの高校でサッカー部のキャプテンを務めていました。高校3年生の学園祭では、矢作兼さんとコンビを組んでお笑いネタを披露したこともありました。当時、女子からモテていた小木さんですが、ある女子と矢作さんが交際を始めた時は、7年間続いたそうです。

卒業後は大学には進学せず、オリエンタルランドに就職し、その後、旅行代理店やタワーレコードで働いた後、極楽とんぼの加藤浩次さんとの出会いがきっかけでお笑いの道に進みました。

まとめ

今回はおぎやはぎ小木さんの学歴やおぎやはぎの経歴等をまとめてみました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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