さらば青春の光とは
カテゴリ | 詳細 |
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結成年 | 2008年8月 |
メンバー | 森田哲矢(ツッコミ・ボケ担当、ネタ作成)、東ブクロ(ボケ・ツッコミ担当) |
所属事務所 | ザ・森東 |
主な活動 | ライブ、テレビ、YouTube、ラジオ |
代表番組 | 「さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ」など |
YouTubeチャンネル | さらば青春の光Official Youtube Channel |
受賞歴 | 2010年 第11回笑わん会 優勝、2011年 第32回ABCお笑い新人グランプリ 優秀新人賞など |
結成~
松竹芸能タレント養成所で先輩と後輩として出会った森田哲矢さんと東ブクロさんは、それぞれ以前のコンビを解散した後、新たなチャレンジとして「さらば青春の光」を結成しました。森田さんは東ブクロさんの熱心な誘いに最初は戸惑いを感じつつも、彼の情熱に心を動かされ、共に「キングオブコント」への挑戦を決意しました。二人のコンビ結成は、お互いにとって新しいスタートとなり、以後、お笑いの道を力強く歩んでいくことになります。
当初、森田さんは別の先輩とのコンビを考えていましたが、東ブクロさんとの強い絆と、彼からの熱意ある誘いにより、共に活動を始めることを決めました。コンビ名の由来は、事務所の先輩であるみなみかわさん(元ピーマンズスタンダード)が提案したもので、二つの映画タイトルから「さらば青春の光」という名前を選んだとされています。
彼らは「キングオブコント」で初舞台を踏み、その後の活動で徐々に評価を高めていきました。特に、初の大きな舞台であったこのコンテストでの敗退にも関わらず、その後のライブでトップを取るなど、持ち前の才能と努力が実を結び始めています。
森田哲矢さんは『キングオブコント2009』の3回戦前にインフルエンザにかかり、出場を辞退せざるを得なくなりました。このことで東ブクロさんに深く謝罪し、「次のABCお笑い新人グランプリの決勝に進出できるようなネタを作る」と約束しました。この言葉どおり、彼らは次年度にその大会の決勝に実際に進出することができました。
2011年にさらば青春の光は、彼らの初の単独ライブ「東京上陸大作戦」を開催しました。このライブは、彼らが大阪から東京へと何度も往復し、バトルライブで好成績を収めた結果、事務所からの特別なプレゼントとして実現しました。
東京での知名度はまだ低かったため、公演に対する不安も大きかったですが、多くの芸人がSNSで告知を行ったおかげで、当日は客席がほぼ満席になり、成功を収めました。特に、当時面識のなかった囲碁将棋や屋敷裕政(ニューヨーク)を含む多くの吉本興業の芸人も応援に駆けつけていたと言われています。
森田哲矢さんと東ブクロさんは、お笑い芸人としてのキャリアを築く前に厳しい生活を送っていました。森田さんはまるでヒモのような生活をしており、東ブクロさんは家で月に約10万円の小遣いをもらいながら暮らしていました。
彼らは経済的に困難な時期もありましたが、ネタを披露するたびに観客からの笑いを得ることができ、賞レースでの成功も見せていました。
特に大阪での仕事が少なかったため、二人は自費で夜行バスを利用して東京まで足を運び、ライブに出演していました。これが功を奏し、吉本興業などが主催する舞台にも招かれるようになりました。吉本の芸人たちとの交流を深めながら、彼らは独立系のライブイベントにも頻繁に招待されるようになり、彼らの才能が広く認められるようになりました。
『キングオブコント2012』で彼らの初めての決勝進出を果たし、見事準優勝を達成しました。この大会での最終的な優勝者はバイきんぐで、特に小峠英二さんのパフォーマンスが会場を沸かせました。
森田哲矢さん自身、当初は優勝の可能性を感じていましたが、バイきんぐの演技に圧倒され、その期待を捨てざるを得なくなりました。この経験について東ブクロさんは後に、その時ほどネタがウケた瞬間はなかったと回想しています。
この成功を足がかりにして、さらば青春の光はその後も『キングオブコント』で複数回の決勝進出を果たし、2015年まで4年連続、そして2017年から2年連続で決勝に進出するなど、素晴らしい結果を見せています。
転機
彼らは『M-1グランプリ』で準決勝に進出するなど、結成2年目にして目覚ましい成果を収めましたが、その成功が調子に乗る原因ともなりました。特に、ファンからの支持が増える一方で、事務所に対する不満も高まり、公の場で事務所への不満を表す行動に出ることがありました。
例えば、ライブ中に松竹芸能への不満を演出する一環として、森田さんはステージ上で過激なパフォーマンスを行い、東ブクロさんはSNSを通じて給与の問題を公にしようとしました。
これらの行動は彼らのプロフェッショナルなイメージに影響を及ぼすと同時に、事務所との関係にもひびを入れる結果となりました。事務所移籍を考えるほどに事態が進行し、当時のマネージャーは彼らを引き留めようとしましたが、彼らは新たな評価を求めて外へ目を向けていました。
2013年の初めに、さらば青春の光の森田哲矢さんが自身のTwitterで予定されていた単独公演の中止を報告し、謝罪しました。この時点で彼らの松竹芸能からの移籍が噂されていましたが、森田さんはすぐにこれを否定し、「まだ松竹芸能に所属しており、関係は円満である」と述べました。
しかし、そのわずか数日後に松竹は「これ以上は彼らの芸能活動を支援することができない」として、専属契約を解除することを発表しました。
この決断に対して、2人はTwitterで、松竹を退社し、4月からは東京を拠点にフリーランスとして活動を続けることを公表しました。彼らは退社の1年前から事務所の上層部に退社の意向を伝えていましたが、状況が変わらなかったために退社を決意しました。
退社騒動の後、松竹の当時の社長は彼らを高級焼肉店に招き、退社を正式に伝える場を設けました。その席で社長は彼らの新たなスタートを応援しましたが、彼らは後に、自分たちが全国区であると勘違いしていたこと、少しの注目で調子に乗っていたことを反省しています。
森田哲矢さんは、過去に所属事務所を退社した経緯について、複数のテレビ番組で語っています。2019年の『家、ついて行ってイイですか?(明け方)』(テレビ東京)での発言では、彼は「辞めないに越したことはない」と退社を振り返り、退社が避けられたならそれに越したことはなかったとの感情を表現しました。
さらに、2020年に『ロンドンハーツ』(テレビ朝日)に出演した際は、他の芸人の退所騒動を例に、「退所って言うてんのただのクビ。俺らの時もそう」と述べ、独立後の生活の厳しさについても触れました。彼は、自分が独立してからはネタ作りから事務所運営、自分のギャラの分配までを自ら行っていると説明しました。
このような経緯から、森田さんと東ブクロさんは「脱竹」と呼ばれる松竹芸能から独立した芸人グループの筆頭とされることが多いです。彼らの独立後の活躍と知名度は、他の芸人にとっても影響を与えているようで、業界内での地位やイメージにも大きな変化があったと考えられます。この一連の出来事は、彼らがいかにして現在の地位を築き上げたかを示す貴重なエピソードとなっています。
独立後~
さらば青春の光は、マセキ芸能社への移籍を目指しましたが、最終的には叶わなかったようです。彼らは2013年に冠番組『さらば青春の光 ふぁいなる』で、個人事務所「ザ・森東」を設立する企画を展開しました。
また、同年6月には東ブクロが他の事務所の先輩芸人の妻との不倫疑惑が週刊誌に報じられ、この騒動と前の事務所とのトラブルの影響で、仕事が途絶える苦境に立たされました。しかし、コンビは解散せずに継続することを決意しました。
この難局の中で、さらば青春の光は周囲の芸人たちからの温かい支援を受けました。TKOや笑福亭鶴瓶さんなど、先輩芸人たちは彼らを励まし、支えてくれました。特に不倫報道後、東ブクロは恐怖に怯えて記憶がほとんどないと述べています。
しかし、周囲の芸人たちは彼らを支え、助けました。例えば、初対面だった小沢一敬(スピードワゴン)は、東ブクロを食事に誘い、東京の芸人たちとの交流を取り持ってくれました。また、しずるは、彼らがフリーに転身して最初の仕事を与えてくれました。
このような周囲の支えの中で、森田は新しいネタを作り、ライブを重ね、2013年の『キングオブコント』ではフリーながら再び決勝に進出しました。
さらば青春の光の森田哲矢さんは、『キングオブコント2012』での準優勝後、非常に厳しい経済状況に直面しました。大阪時代には月収が8000円という極貧生活を送っていたことがあり、東京進出後も経済的な困難は続き、友人から100万円を借りる事態に至りました。
フリーランスとしての苦労は絶えず、例えば一日中の撮影で働いても得られるギャラがわずか5000円だったり、約束された20万円のギャラが未払いになるといった問題が発生していました。
このような困難な状況を乗り越え、2016年には『M-1グランプリ』でコント芸人としては異例の決勝進出を果たし、最終的には4位にランクインしました。また、2017年5月からは新たな取り組みとして「森東広告堂」を立ち上げ、ウェブCMの制作を始めるなど、多方面での活動を展開しています。
さらば青春の光は、結成後の数年間で着実に人気を高め、2017年から2019年にかけての単独ライブでは、それぞれ600人、2,700人、4,500人以上を動員しました。この期間の彼らの年商も大幅に増加し、創設当初の500万円から2019年には4400万円にまで成長しました。また、コンビの月収もそれぞれ約102万円に達しました。
『キングオブコント2018』での最終的な成績は4位で、この年をもってコンテストからの「卒業」を宣言しました。その後、森田はこの決断が自身にとって大きな転換点となり、仕事が増えてより一層単独ライブに力を入れることができるようになったと語っています。
2018年10月には自身のYouTubeチャンネルを開設し、テレビでは見られない長尺のコントやその他のコンテンツを投稿しています。また、YouTubeからの収益が家賃支払いに充てられるほどになるなど、経済的にも自立しています。
森田哲也(もりた てつや)
カテゴリ | 詳細 |
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本名 | 森田哲矢 |
ニックネーム | 社長、森田、なにわの天才商人 |
生年月日 | 1981年8月23日(42歳) |
出身地 | 日本、大阪府堺市北区金岡町 |
血液型 | B型 |
身長 | 163 cm |
最終学歴 | 大阪府立東百舌鳥高等学校 |
コンビ名 | さらば青春の光 |
相方 | 東ブクロ |
芸風 | コント、漫才 |
事務所 | 株式会社ザ・森東(代表取締役社長) |
活動時期 | 2006年4月 – |
同期 | 見取り図、渡辺直美、ジェラードンなど |
現在の代表番組 | カチコチTV、ラヴィット!、私のバカせまい史など |
過去の代表番組 | リフォーマーズの杖、マッドマックスTVなど |
その他の活動 | 実業家(芸能事務所社長)、モルック、俳優、作家、脚本家、YouTuber |
森田哲矢さんは、幼い頃からお笑いが大好きでした。特に、『加トちゃんケンちゃん』や志村けんの活躍する時代を経て、お笑いへの愛を深めていったそうです。小学生の頃には『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で高田純次に魅了され、学校の授業参観で自ら書いたコントを披露するほどでした。この経験から「楽して稼ぎたい」という価値観が芽生えたと語っています。
さらに成長するにつれて、ダウンタウンに出会い、特に松本人志から大きな影響を受けました。彼の影響で、学生時代から「誰が面白い」「誰が面白くない」という厳しい目でお笑いを評価するようになったと述べています。
高校時代、出席は問題なかったものの成績が振るわず、留年することになります。この時期、彼はドストエフスキーの『罪と罰』を読むなどして、変わったキャラクターを演出していました。その後も学業に苦しみ、彼のクラスで無事に卒業できたのは森田さんと親しい友人のみでした。
19歳で高校を卒業後、家族から追い出され、200万円の借金を背負います。その後、5年間にわたって自堕落な生活を送りつつ、アルバイトを掛け持ちして月に40万円を稼ぎ、比較的短期間で借金を返済しました。この経験から、お笑い芸人を目指すことを決意し、残った資金を使って松竹芸能のタレント養成所に入所します。彼は芸人を選んだ理由として、一人で完結できる仕事であること、そして他人からあまり怒られない環境を求めたためだと語っています。もし芸人になっていなければ、トラックの運転手をしていたかもしれないとも言及しています。
2006年4月に松竹芸能のタレント養成所に入学しました。養成所では週に一度のネタ見せがあり、森田さんは新しいネタを作る日々を送っていました。最初は周りの進捗に遅れを取っていましたが、その年の後半にはライブに出演するまでに成長しました。
松竹芸能を選んだ理由は、大手のお笑い事務所である吉本よりも松竹の方がスピーディーに先輩芸人を追い抜き、成功するチャンスがあると考えたからです。彼は吉本所属の松本人志に憧れていたものの、松竹を選んだ理由はそこにありました。
2006年6月から2008年6月までの間、森田さんは「カサブランカ」というコンビで漫才を行っていました。彼のステージスタイルはダウンタウンに影響を受けたもので、黒いTシャツにジーンズを着用し、ボケを言いながら斜め下を向くスタイルでした。養成所内では彼のネタは評価されましたが、劇場での受けは良くなかったと東ブクロが述べています。
それ以降の活躍をまとめてみました。
日付 | イベント |
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2008年8月 | 東口宜隆(現:東ブクロ)と「さらば青春の光」を結成 |
2019年 | フィンランドのスポーツ「モルック」を始める |
2019年1月21日 | 初の著書『メンタル童貞ロックンロール』を発売 |
2019年4月20日 | 『IPPONグランプリ』(フジテレビ)に初出場 |
2020年4月7日 | 『ロンドンハーツ』出演時、有吉弘行に「排水口」と命名される |
2021年1月18日 | 『つぶし合いクイズ!悪意の矢』(日本テレビ)で優勝し、賞金100万円を獲得 |
2021年12月13日 | 『女芸人No.1決定戦 THE W』で大会サポーターを務める |
2022年 | テレビとラジオで合わせて18本のレギュラー番組を持ち、272本のテレビ番組に出演。『お笑いアカデミー賞2022』で最優秀多忙賞にノミネート |
2023年1月14日 | 日本クラウンから「チュロス」の楽曲「Take it easy」を歌唱し、カセットテープで限定販売 |
人物像
カテゴリ | 詳細 |
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喫煙習慣 | 1日に2箱以上のヘビースモーカーで、メビウス ライトを愛煙 |
ゴシップ好き | 人の噂話やゴシップが好き |
アルコール | 下戸で、どうしても飲まなければならない場合は極度に水で薄めた梅酒を選択 |
猫好き | 実家でも猫を飼っており、事務所でも猫を飼うことを提案 |
同僚からの評価 | 東ブクロは森田の出っ歯とネタへのストイックな姿勢を高く評価 |
芸人としての評価 | お笑いの幅広い分野(漫才、コント、企画力、事務所運営)での才能が認められ、多忙な芸人として知られる |
趣味・関心事 | 映画や音楽が好きで、特にTHE BLUE HEARTSやザ・クロマニヨンズを好む |
私生活 | バイク川崎バイクや橋本直(銀シャリ)などの芸人と親交が深い |
東ブクロ
カテゴリ | 詳細 |
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本名 | 東口宜隆(ひがしぐち よしたか) |
生年月日 | 1985年10月6日 |
出身地 | 日本、大阪府茨木市 |
血液型 | O型 |
身長 | 166 cm |
最終学歴 | 同志社大学文学部 |
コンビ名 | さらば青春の光 |
相方 | 森田哲矢 |
立ち位置 | 右 |
事務所 | 株式会社ザ・森東(副社長) |
活動時期 | 2006年 – |
同期 | 見取り図、金属バット、ジャングルポケットなど |
現在の代表番組 | GEMS COMPANYのさらば、ラジオ。 |
その他の活動 | 芸能事務所副社長、俳優、YouTuber |
東ブクロさんは小さい頃からお笑いが大好きで、小学生の時には将来の夢として「吉本芸人になりたい」と卒業文集に書き記していました。中学時代には「ナインティナインのオールナイトニッポン」に大きく影響を受け、ナインティナインの高校が地元であることから、ラジオで語られる彼らのエピソードに魅了されました。その一方で、『めちゃ×2イケてるッ!』や『笑う犬シリーズ』などのテレビ番組もよく視聴していました。
しかし、中学や高校時代は周囲にお笑いを愛好する友人がおらず、一人でその情熱を噛みしめることが多かったようです。高校時代には、その抑えきれないお笑いへの情熱が爆発し、文集の作文にお笑い論を展開し、卒業文集のプロフィール欄には大喜利を掲載するまでに至りました。
中学時代、東ブクロさんはビン底眼鏡をかけており、高校での新たなスタートを切りました。非常に優れた成績を収めることができたにもかかわらず、彼は芸人としての将来を考え、ダサい印象を避けるために、学区で2番目に偏差値の高い高校に進学する選択をしました。
この高校は校則が緩く、おしゃれな生徒が多く通うことで知られていました。高校進学を巡っては、父親、家庭教師、担任教師との間で深夜まで熱心な議論が交わされました。私服を着用する学校生活では、ファッションに対するプレッシャーを感じていた東ブクロさんは、服装に常に気を配る日々を送っていました。
東ブクロさんがお笑い芸人を目指すようになったのは中学3年の時、父親がなんばグランド花月への訪問を約束したが果たせなかったことがきっかけです。この出来事が彼にとって大きな動機となり、「復讐」として芸人を目指すことを決意しました。高校時代には文化祭で漫才を行い、その成功体験が彼の芸人への道をさらに固めることになります。
大学ではお笑いサークルに入り、そこでの活動がさらに彼の芸人としてのスキルを磨く場となりました。サークルでの活動は厳しくも充実しており、カズレーザー(現メイプル超合金)という一学年上の先輩と出会い、影響を受けました。
彼と「フルハウス」というコンビを結成し、大学の漫才大会で活躍しましたが、吉本やナベプロのオーディションでは思うような結果が得られず、最終的にコンビは解散しました。その後、松竹芸能の養成所に入所しますが、ここでも苦労が続きました。
東ブクロさんの大学時代は、お笑いサークルでの活動が中心で、同じサークルの同級生と交際していたこともあります。この関係は非常にプラトニックなもので、手をつなぐ程度だったとされています。東ブクロさんはこの関係が後の自分の人生に影響を与えたと振り返っています。
また、彼はカズレーザーさんと結成していたコンビ「フルハウス」のファンだったある女性との出会いが、ファンとしての境界を越えた初めての経験だったとも述べています。
松竹タレント養成所への入所は、森田哲矢さんの入所から半年後になります。さらば青春の光を結成する前には、「119」と「ヤンバルクイナ」というコンビで活動していましたが、これらのコンビは解散を経て、東ブクロさんは一時的にピン芸人「ちらしずし半人前」として活動していました。
この芸名の「半人前」は、まだ自分が一人前ではないと感じていたため、成長を促す意味も込められていたそうです。
人物像
カテゴリ | 詳細 |
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性格 | ミステリアスに見えるが、実際は人見知り。自己主張が苦手で、他人の話を聞くのが好き。 |
特技 | 空手が得意で、小学4年生から中学3年生までの間、試合で負けたことがない。 |
ラジオ | ラジオ好きで、自身のレギュラー番組を持っていた。愛車にはおに魂ステッカーを貼っていた。 |
恋愛観・行動 | 女好きであり、過去にはファンとの関係を持ったことも。しかし、先輩芸人の妻からの誘惑には応じなかった。 |
趣味・ライフスタイル | ゴルフが趣味。学生時代は女性芸能人のヌード画像を検索して鑑賞していた。 |
喫煙習慣 | ラッキーストライク エキスパートカット 6を愛煙し、Ploom S 2.0も使用。森田からは「本当に吸っているのか」と疑われている。 |
食物アレルギー | 甲殻類アレルギーを主張しているが、見た目から食べられないとも言っており、真相は不明。 |
その他 | 昆虫が苦手で、誕生日を祝われるのが苦手。 |
青春の光が愛媛で人気の番組
さらば青春の光の青春ジャック
https://youtube.com/@seisyun_jack?si=vT-rBqV-7joTLo8_さらば青春の光が愛媛でしている番組。筆者も見せて頂きましたが素直にとても面白かったです。お二人の自由さや、鋭いツッコミ等が人気の理由だと思います。
是非一度ご覧ください。
まとめ
今回は、さらば青春の光のお二方の経歴や、愛媛でしている番組の紹介をさせて頂きました。
最後までお読みいただきありがとうございました。